金隈遺跡展示館、2年間休館へ

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 福岡市博多区にある国史跡、金隈遺跡に久しぶりに行ってきた。紀元前2世紀から約400年にわたって営まれた弥生時代の共同墓地跡で、一帯は史跡公園として整備されている。メイン施設の甕棺展示館は発掘現場の一部が保存され、出土した甕棺や人骨までもがむき出しの状態で展示されているユニークな施設だ。狭いながらも見応え十分なのだが、交通の便が悪いこともあり6年間ご無沙汰だった。改修のため5月から、まるまる2年間も休館になると聞き、今のうちに再度「墓参り」しておこうと足を延ばしてきた。

 この遺跡は1968年春に発見された。緊急調査の結果、多数の甕棺墓や良好な保存状態の人骨などが見つかり、1972年には国史跡に指定されている。その後数次にわたる発掘調査で、土坑墓119基、甕棺墓348基、石棺墓2基が確認され、136体分の人骨が出土した。この人骨から推定される金隈人たちの平均身長は男性が162.7㌢、女性151.3㌢だったことを以前、
「長身だった金隈の弥生人」のタイトルで取り上げたことがある。現代人から見ると、かなり小柄に思えるが、日本人の平均身長がこの数字を上回るのは実は戦後のことなのだ。

 北部九州の弥生時代遺跡から見つかる人骨は、武器の破片が骨に突き刺さっていたり、首がなかったりなど戦乱の激しさを物語るような例が多いが、金隈遺跡についてはそういった報告はない。この集団墓地に葬られた人々のムラは例外的に平和だったのだろうか。

 ところで、遺跡発見の経緯についてはなぜか、市の発掘調査報告書の中でも混乱がある。1985年発行の『史跡金隈遺跡―発掘調査及び遺跡整備報告書』には「金隈遺跡の発見は昭和43年の春、桃畑を開墾している時であった」と書かれている。恐らくこれをもとに金隈遺跡のパンフレットにも「桃畑の開墾作業中に発見されました」と紹介されており、これが一般的に流布している。私も 「長身だった金隈の弥生人」では「果樹園整備の際に発見された遺跡」と書いた。

 しかし、1970年発行の『金隈遺跡第一次調査概報』には「福岡市比恵で鉄工所を営むN氏は、福岡市大字金隈字日焼に器材倉庫、宅地用の土地を買入れ、昭和43年4月、用地への道路取り付け工事を行なった。工事中甕棺墓と人骨が発見され」と全く異なる経緯が記されている(N氏は原本では実名)。遺跡発見直後に行われた緊急調査の記録であり、記述自体も非常に具体的な『第一次調査概報』の方が真実を伝えているのではないかと思うのだが。

 甕棺展示館は1985年3月の開館。開館から四半世紀以上が過ぎ、遺構や遺物の劣化が進んだことが今回の改修の理由で、金隈遺跡とともに、西区にある弥生~古墳時代の集落遺跡、
野方遺跡(ここも国史跡)の展示館も休館となる。遺構・遺物のクリーニングと保存処理が行われるほか、展示物や説明パネル等も刷新されるという。

 福岡市にはこの金隈、野方遺跡のほかにも、板付遺跡や鴻臚館など史跡公園化されたり、小規模ながらも展示館が併設されたりしている遺跡が少なくなく、しかもすべてが無料開放されている。さらに1週間後の4月15日には、発見時には「早良王墓」として大変な注目を浴びた吉武高木遺跡(西区)が「やよいの風公園」として、いよいよグランドオープンする。近いうちに見学に行き、面白い話でもあれば報告したい。
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