縄文の二重環濠跡は今…

IMG_6483.jpg

IMG_6489.jpg

IMG_6485.jpg

 福岡市博多区那珂のJR鹿児島線沿いの土地で1993年、縄文時代晩期(紀元前4世紀頃)の二重環濠跡の一部が確認され、「縄文の環濠集落発見」と新聞等で大騒ぎになったことがある。それまで環濠集落の出現は弥生時代はじめ(紀元前3世紀)と思われていたため、この遺跡の発見は「教科書の記述を書き換える」ものだった。以前、那珂八幡古墳の写真撮影に行った際、近隣にあるこの遺跡もついでに見に行ったが、それらしきものが見つからなかった。改めて調べたところ、遺跡がある場所には現在、青果会社の大きな倉庫が建っていることがわかった。再度、現地に行ってみたが、遺跡の存在を示すのは、道路沿いの壁に取り付けてあったタイル製の説明パネルだけだった。

 この遺跡が見つかったきっかけは、青果会社の倉庫建設で、だから遺跡の上に倉庫があるのは当然のことではある。「教科書を書き換える」程の遺跡が確認され、青果会社と市教委との間で保存についての話し合いは持たれたのだが、すでに倉庫の建設契約が結ばれており、建設計画破棄は困難だったという。このため二重環濠の遺構を極力壊さないよう、盛り土を高くし、建設場所を少しずらすなどの次善の策が取られ、市の史跡にも指定されている。発見時の大騒ぎを思えば、遺跡の現状は物足りないが、大半の遺跡は発掘調査後には取り壊されているとも聞くだけに、どんな形であれ残ったことが重要なのだろう。

 最近、北九州市でも城野遺跡(小倉南区)で2009年に見つかった方形周溝墓の保存が決まり、ニュースとなっていた。方形周溝墓とは文字通り、方形に溝を巡らした弥生時代の墓で、城野遺跡の周溝墓は弥生時代末期(3世紀)のものとみられている。23㍍×16㍍の規模は九州最大級とも言われるが、「九州最大級」などというアバウトな評価以上にこの遺構が貴重とされたのは、内部を水銀朱で真っ赤に塗られた幼児用の箱型石棺2基が見つかったためだ。城野遺跡からはほかに、勾玉の工房跡なども見つかり、保存を訴える地元市民団体も結成されていた。

 この城野遺跡とは城野医療刑務所の跡地(約1万6000平方㍍)で、即ち国有地。国の土地から貴重な遺構が確認されたのだから、即座に保存が決まっても不思議はないと思うのだが、ところが、話はその方向に進まなかった。国と北九州市との間で保存に関する協議は持たれたようだが、結果的に決裂。刑務所跡地は一般競争入札で売りに出され、大手住宅メーカーが落札した。落札価格は公表されていないが、最低価格は7億7200万円だったので、結構な金額が国庫に入ったのは間違いない。北九州市は石棺2基だけは埋蔵文化財センターに移築したものの、遺跡自体は取り壊しやむなしの考えだった。

 しかし、今年3月になって住宅メーカーが方形周溝墓の遺構一帯556平方㍍を市に無償譲渡することを決め、破壊を免れた。住宅メーカーの英断を評価する声が上がる一方、積極的に国有地購入に動かなかった北九州市は共産党市議らから悪者扱いされているようだが、本当に悪いのは市なのだろうか。

 国と北九州市との協議内容が詳しく公表されていないので、確かなことは言えないが、遺跡が見つかった国有地をあっさり民間企業に売却しているぐらいだから、国側はただ単に土地を高く売ることしか頭になかったのだろう。しかし、ゴミが埋まっているという理由で国有地を8億円も値引きした例があるのだ。この理屈で言えば、遺跡の保存経費分を大幅値引きして譲渡しても良かったぐらいで、恐らく8億円近い土地価格に二の足を踏んだ北九州市も価格次第では違った結論になったことだろう。後に大幅値引きが騒ぎになっても、このケースだったら国側は大威張りで「問題なし」と言えたに違いない。
関連記事
スポンサーサイト
[Edit]

コメント

非公開コメント