博多のど真ん中にあった前方後円墳

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 6年前、「遊び場だった那珂八幡古墳」という駄文を書いた。小学生時代に遊んでいた神社が、実は前方後円墳だったことを中高年になって知ったという話なのだが、古墳とわかった経緯などをきちんと確認していなかったため、読み返してみると、相当いい加減な内容だった。そこで先日、記事の後半部分をほぼ全面的に書き直したのだが、その作業の中で、博多1号墳という別の前方後円墳の存在に興味を覚えた。この古墳があったのは福岡市博多区御供所町1-1。博多のど真ん中なのだ。

 古墳があった場所をもっと詳しく書くと、地下鉄祇園駅4番出口から地上に出た辺りで、現在は大博通りに面して12階建ての西鉄祇園ビルが建っている。当然ながら、古墳自体は跡形もない。西鉄祇園ビルの建設に先立ち、1985年5~8月に行われた発掘調査で古墳は見つかったのだが、当時から墳丘は現存していなかった。では、なぜ古墳とわかったかと言えば、基底部の葺石が断続的に見つかり、これをつなぎ合わせると、前方後円墳の姿が浮かび上がったという。博多1号墳と言いながら、別に2号墳や3号墳が近隣にあったわけではないようだ。

 古墳の規模や築造時期について、この調査の発掘報告書『博多Ⅶ―博多遺跡群第28次発掘調査報告』では全長56㍍以上、後円部の直径38~41㍍、出土した埴輪から4世紀末から5世紀初頭にかけての築造と推定している。しかし、1989年に出された老司古墳の報告書には「博多1号墳は全長約65~70㍍に推定され、出土埴輪から5世紀前半に位置付けられる」、1997年の博多遺跡群の報告書には「5世紀後半に築かれたとされる博多1号墳(前方後円墳、推定墳丘長60㍍)」と数字はバラバラで、築造時期に関しては100年も開きがある。出土した埴輪は全て破片だったというから、時期特定が難しいのだろうか。

 この古墳周辺からは1~2世紀後のものと思われる石室墓7基の遺構が同時に確認されたが、面白いのは古墳の石材を再利用して石室墓が築かれたと推定されていることだ。だとしたら、博多1号墳は築造から100~200年後には早くも破壊されていたことになる。御先祖様の墓を暴いて自分たちの墓を造ったとも思われないので、石室墓に埋葬されたのは別の集団なのだろうかと想像が広がる。

 博多1号墳は古代、福岡平野を治めた集団の首長墓とみられる七つの前方後円墳のうちの一つ。七つの古墳はすべて那珂川流域の直線距離にして約10㌔の範囲に集中しており、博多1号墳はその最も北に位置している。今ではアスファルトで固められたビル街だが、本来は砂丘だった場所だという。埋め立て地などを除き、どんな土地にも等しく古墳時代はあったのだから、博多のど真ん中に古墳の遺構があっても不思議はないのだろうが、砂丘上に築造された前方後円墳は珍しいらしい。


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