動き出した「宗茂」大河ドラマ誘致

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 福岡県柳川市が、初代柳川藩主・立花宗茂 (1567~1643) と妻・誾千代(1569~1602)を主人公にした大河ドラマ制作を求め、誘致活動を始めた。8日午後には市長一行が甲冑姿で知事を訪ね、活動への協力を要請したという。以前、『軍師官兵衛』の放映が決まった際、福岡市への経済効果は薄いだろうと思い、「我が福岡も歴史ファンの間で人気が高い立花宗茂を候補に、本気で誘致活動に取り組んではどうだろう」と偉そうに書いたことがある。この時は立花城主としての宗茂が念頭にあったのだが、やはり柳川藩主として取り上げるべき人物であり、柳川市が活動の中心になる方が理にかなっている。(立花城は福岡市東区や新宮町などにまたがる標高367㍍の立花山にあった。写真は城跡の山頂と、山頂にある説明板)

 立花宗茂は、大友宗麟配下の武将・高橋紹運の子。紹運の同僚の戸次道雪に請われ、15歳の時に道雪の娘・誾千代(ぎんちよ)の婿となり、立花城主(正確には城督と呼ぶらしい)を継いだ。九州の覇権を懸けた大友と島津の戦い、秀吉の九州平定戦、文禄・慶長の役などで数々の武勲を挙げ、秀吉からは「西国無双の誉」「九州之一物」と激賞され、九州平定後には柳川13万石に取り立てられている。関ヶ原の戦いでは西軍についたため所領を没収されたが、徳川家からの評価も高く、20年後の1620年には柳川藩主に返り咲いている。西軍方の武将で旧領復帰を果たした唯一の例だ。柳川市は宗茂復帰400周年に当たる2020年の大河放映を目指しているという。

 一方、妻の誾千代は7歳の時に父・道雪から家督を譲られ、女城主となった。もちろん、7歳の女児に城主が務まるはずもなく実質的権限は道雪にあったようだが、関ヶ原の戦後、自ら甲冑を身にまとい、女性部隊を組織して柳川の防備を固めたという勇ましいエピソードも伝わる(史実かどうかは不明)。立花城から柳川に転封後は宗茂と別居、所領没収後は熊本に身を寄せ、宗茂の返り咲きを見ることなく30代の若さで亡くなっている。

 私の拙い文章力では二人の魅力を到底伝えきれないが、NHK好み、または大河向きの人物であるのは間違いないと思う。むしろ、なぜ、これまで誘致運動が起きなかったのか、もっと言えば、すでに大河ドラマ化されていないことが不思議なぐらいだ。また、2012年には葉室麟氏が『無双の花』、故・山本兼一氏が『まりしてん誾千代姫』と、両直木賞作家がこの夫婦を題材にした小説を発表しているほか、宗茂を主人公にした小説は過去にも複数出版されており、原作・原案にも事欠きそうにない。

 ただ、気になるのは今年、誾千代とキャラがもろにかぶる『おんな城主直虎』という作品が放映されていることだ。直虎については「実は男だったのでは」と疑義が出されていることもあり、柳川市サイドは「誾千代は正真正銘の女城主で、史料も豊富にある」と意気盛んだ。しかし、史実がどうあれ、わずか2年のインターバルで、NHKが似たような題材を大河ドラマで取り上げるというのは、個人的には望み薄という気がする。せっかく魅力的な人物なのだから、柳川復帰400周年の2020年放映などという目標にこだわらず、息の長い誘致活動を続けた方がベターではないだろうか。短期決戦に懸けるというのならば、それはそれで仕方がないが。

 宗茂と誾千代の夫婦仲については、立花城を離れた後は別居していること、二人の間に子がなかったこと――などの理由から、不仲説が流布しているが、地元・柳川市にある立花家史料館は「二人と同時代の史料で不和を証言するものはない」と否定的だ。不和の原因について、誾千代が肥前名護屋城に陣を張っていた秀吉の目に止まり、寵愛を受けたためと描いた小説が過去にはあり、「柳川では大変な物議を醸した」と書かれた資料があった。400年前の人物を巡って物議を醸すところに、旧領主と地元との深いつながりが垣間見える。下の写真は柳川藩主の旧別邸「御花」。


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