山麓にある海神社

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 福岡市早良区西油山に海(わたつみ)神社という社がある(写真)。海から離れた油山(597㍍)の山麓に海を名乗る神社があるのは不思議だが、調べてみると、城南区東油山にも全く同名の神社があった。古代の遣唐使たちが脊振山に登り航海安全を祈ったという故事もあるぐらいなので、ひょっとしたら山で海神を祭るのは珍しいことではないかもしれない。だが、福岡都市圏にある「ワタツミ神社」(漢字表記は海のほか、綿津見、綿積、少童)と、これらの神社の総本社と言われる東区志賀島の志賀海神社の位置を地図に落としたところ、やはり大半は海、または河口に面した場所にあり、東・西油山の海神社の立地は異色だった。

 大正時代、早良郡役場によって編まれた『早良郡志』(復刻版は名著出版、1973)によると、西油山の海神社の祭神は底津少童命、中津少童命、上津少童命の三神。航海安全や漁業などの神々だ。例祭は9月19日、氏子は25戸。一方、東油山の海神社は同じ海神ながら豊玉彦命を祭り、別名は龍樹権現。例祭は9月9日で、東油山35戸の産神だと記されている。両神社とも明治5年(1872)に「村社」に定められたとあるが、それ以外の沿革については記載がなく、山里でなぜ、海神が信仰されてきたのか理由は不明だ。

 龍樹権現とは油山山中にあった社で、江戸時代の地誌『筑前国続風土記』には「龍樹権現の社の跡、山の七分高き所に在り。(中略)今は龍樹権現をば、山下に移せり。村に近し」との記述がある。「山下に移せり」というのが、現在の東油山・海神社のことなのだろうか。

 続風土記には、西油山の集落の成り立ちについての記述もある。「今の西油山の地、昔は中河原と云ふ。村里なく、田畠もなかりしに、近世田畠を開き、家を作りて村と成れり。村民樒の皮と葉とを多く取て抹香とし、福岡などに持出て売り、家産を助く」。西油山の集落は移住者によって開かれた村だったことがわかる。海辺の民が移り住んできたのならば、話は簡単なのだが…。

 『福岡県の神社』(アクロス福岡文化誌編纂委員会、2012)によると、2012年1月現在、福岡県内には3,318の神社があり、このうち最も多いのは600社を超える天満宮で、県内での「天神さま=菅原道真」信仰の広がりを物語っている。続いて八幡宮、貴船社、熊野社、大山祇神社、祇園社、日吉社の順で、ワタツミ神社は8番目となっている。何社あるのか数は示されていないが、「筑後の有明海沿岸地方に多くのワタツミ神社がある」といい、やはり海辺にあるのが主流のようだ。
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