突然起きた神社の砲弾騒動

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 各地の神社に古くからあった砲弾が今月、突如として不発弾扱いされるようになり、「爆発の恐れあり」と撤去騒ぎが起きている。私も以前どこかの神社で見た記憶があり、探してみたら上の写真が見つかった。福岡市西区の今山遺跡(石斧の産地跡として山全体が国史跡になっている)を散策した際、山上の熊野神社で撮影したものだ。本殿脇に遺棄されたも同然の状態で置かれていた。ただ、石の台座らしきものに設置されているところを見ると、元々はそれなりの由緒があったのだろう。

 今回の騒ぎの震源地は大分県で、新聞報道などによると、杵築市の神社を訪れた男性が野ざらし状態の砲弾を見つけ、警察に通報したのが発端だという。自衛隊の調査で“信管がついた旧日本軍の不発弾”と確認され、これを受けて大分県神社庁が県下の神社に対し、砲弾の有無を確かめるよう通達。「ある」との報告が続々と寄せられ、騒ぎが広がった。一部新聞は過去に起きた不発弾爆発事故を持ち出し、不安をあおっていたが、そのすべては地中に埋まっていた不発弾によるものだ。神社等に置かれていた砲弾が爆発したケースが本当にあるのか、知りたいのはそこなのだが。

 砲弾の多くは年代不明だったというが、新聞等には「日清・日露戦争に従軍していた兵士が帰郷後、戦勝記念などとして奉納したのではないか」という研究者のコメントが載っていた。台座に「征露記念」などと刻まれていた例もあったというから、その通りなのだろう。ただ、国立公文書館アジア歴史資料センターのデジタルアーカイブを漁ったところ、別のケースもあり得ることがわかった。地方自治体や学校などが帝国陸海軍に対し砲弾などの廃兵器の下付を求めた文書が大量にあったのだ。

 文書の多くは達筆な崩し字で書かれていたため、私には判読できなかったが、楷書で書かれていた数少ない資料によると、旧陸海軍は「軍事思想啓発」のため廃兵器を希望者に下げ渡していたことがわかった。例えば、石川県津幡町長、津幡尋常小学校長らが大正13年(1924)に財部彪・海軍大臣に提出した文書には、尋常小学校に展示し、「海軍思想ノ鼓吹普及」するため魚雷1本、機雷1個、大砲砲身1本、砲弾2個、飛行機プロペラ1個の下付を要望したことが記されている。また、昭和10年(1935)に下関市長は日和山公園に据え付けるため「加式二十四糎加農被帽弾々丸」1個などを、同12年(1937)には北海道津別村の津別神社造営会は神社に献納するため、日清・日露戦争、または満州・上海事変などに関係ある火砲少なくとも2門と弾丸少なくとも14個の下付を求めていた。

 騒ぎになった砲弾の中にも、あるいはこういった経緯で地方にもたらされ、結果として展示を兼ねて地元の氏神などに奉納されていた物があったかもしれない。兵士一個人ではなく旧陸海軍が直接関与していたのだから、安全には万全の措置が講じられていたはずで、これらは危険な不発弾ではなく、単なる「戦時資料」だったことになる。神社等にあった砲弾の多くは、関係者も「昔からあった」と証言するだけで由来不明だったらしく、だとしたら今さらながらも爆発を恐れることは当然なのかもしれないが、何となく釈然としない騒ぎではあった。
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