ドラフトと福岡大渇水

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 28日に行われたプロ野球のドラフト会議。右の先発投手が決定的に足りない福岡ソフトバンクホークスは斎藤佑樹投手を1位指名したが、残念ながら「外れ」。代わって高校生捕手を1位指名した。習志野高校の山下斐紹。思わず「誰!?」と叫んでしまったが、将来の大物として評価は「A」級の選手らしい。それにしてもえらく不敵な面構え、早い話が悪そうな顔をしている。右の先発候補については、摂津の先発転向も検討されているらしいが、こうなったら新垣の奇跡的な復活、大場、巽の大変身に期待するしかない。

 本題は1977年(昭和52年)のドラフトについてである。福岡にあったクラウンライターライオンズが敢然と江川卓を1位指名し、ものの見事に振られた年だ。ライオンズ入団を強硬に拒否した彼は「福岡は遠い」と言い残してアメリカに旅立ち、「福岡はアメリカよりも遠いのか!」と福岡市民を憤激させた。彼が1年後、相思相愛だった巨人と“空白の1日事件”を起こし、 大騒動に発展したのは周知の通りだ。

 この翌年の78年、福岡は記録的な大渇水に見舞われた。同年5月から翌79年3月まで、結果的に287日も給水制限が続いたのだが、この時、なかなか水が貯まらず、市民から「役立たず」とののしられたダムの名前が、奇しくも「江川ダム」だった。

 近郊の朝倉市(渇水当時は甘木市)にあるこのダムは、貯水量2400万トン。福岡市にとっては最大の水がめであり、貯水量も際立って大きい。現在、福岡市の水がめとしては計八つのダムがあるが、江川ダム一つで全体貯水量の5割以上を占めている。ダムの数が二つほど少なかった78年当時は、確か7割前後を占めていたと思う。つまり、福岡の水事情をこのダムの貯水量が左右していたのだが、先にも書いたように少々の雨では一向に増えない。

 報道機関は「欠陥ダムではないか」と騒ぎ出し、ライオンズへの入団拒否で“江川憎し”の思いが強かった市民の間では「名前が悪い」という声が沸き起こっていた。実際にそんな意見が地元紙の市民の声コーナーに載った記憶もある。八つ当たりと言う以外にないが、私の周りでも「東尾ダムに改名しろ!」という声がもっぱらだった。東尾とは当時のライオンズの大エースであり、現在では石田純一の義父になったことで有名な人だ。冷静に考えれば、大きなダムに水が貯まるだけの降水量がなかっただけの話なのだが…。

 江川問題も今にして振り返れば、当時のライオンズは経営的にも戦力的にもぼろぼろの状態で、中央球界の大スターが喜んで入団してくれる球団では到底なかった。だからこそ、江川入団をカンフル剤にしたかったのだろうが、ライオンズ入団拒否に関してだけ言えば、彼の選択は責められないだろう。ライオンズが西武に買収され、福岡を去ることが発表されたのは大渇水真っただ中の78年10月。福岡にとっては踏んだり蹴ったりの暗い年だった。

 写真はライオンズの本拠地だった平和台球場のモニュメント。かつての球場前にある。
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