多聞櫓は学生寮だった

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 福岡城南丸多聞櫓の保存修復工事が行われている。多聞櫓は、築城当時の位置に現存する唯一の櫓で、1971年には国重要文化財にも指定されている貴重な建物なのだが、今回の工事の理由を知って驚いた。福岡県西方沖地震や経年劣化により、建物のあちこちに傷みが目立ってきたからだというのだ。経年劣化の方はわからないでもないが、福岡県西方沖地震とは2005年3月、つまり12年も前に起きた地震だ。この時の被害はさほど大きなものではなかったのかも知れないが、12年もほったらかしだったのだろうか。工事は来年3月までの予定だ。

 多聞櫓は2階建ての隅櫓と長さ約54㍍(30間)の平櫓からなる。平櫓の内部は普通、突き抜けの構造になっているらしいが、福岡城の多聞櫓は16の小部屋に分かれており、この変わった構造のためか戦前は城内に駐屯していた陸軍歩兵24連隊の兵舎として、戦後の1947年からは西日本短大の学生寮として利用されていた。

 藩政時代は主に倉庫として使われていた建物だったのだから、そのままでは居住に適しているはずがなく、内外装とも大きく改変されていた。1970年には西日本短大が移転していき、翌71年には多聞櫓の本来の持ち主だった国から福岡市が買い取ったのだが、この時には屋根瓦が落ち、雨漏りも激しく、崩壊寸前の状態だったという。辛うじて骨組みは良好な状態だったため、重文指定を受けることは出来た。福岡市は72年から約3年の月日と約1億円の予算を費やして、建物をいったん解体した後、旧来の姿に復元する工事を行っている。

 多聞櫓の解体復元は、この時代に市が進めていた福岡城址の史跡公園化の第一弾で、西日本短大に続き、74年にはその北側にあった予備校・九州英数学舘、75年からは2年がかりで御鷹屋敷一帯にあった福岡大平和台キャンパスの移転も実現させ、跡地は現在、緑地や牡丹芍薬園などとなっている。

 福岡大の一部キャンパスが御鷹屋敷跡にあったのは以前から知っていたが、西日本短大や九州英数学舘まであったことは全くの初耳だった。さらに言えば、先頃まで市立舞鶴中学校だった場所には1960年まで、市立博多工業高校があった。明治通りから護国神社へ抜ける狭い道の両側には戦後の一時期、高校、予備校、短大、大学がひしめき合っていたことになる。ひょっとしたら博多工業高校卒業後に英数学舘で浪人生活を送り、福岡大学へ進学、青春時代を過ごしたのはずっと城内だった、などという人もいたのだろうか。

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 御鷹屋敷の下にある藤棚。以前は福岡大の体育館があったらしい。

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 九州英数学舘があったのはこの辺りだと思われる。

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 舞鶴中学校の跡地。旧校舎は福岡城、鴻臚館のガイダンス施設として、校庭は駐車場として活用されている。
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