緑の廃墟・川南造船所跡2

旧聞に属する話2010-造船所3

旧聞に属する話2010-造船所2

旧聞に属する話2010-造船所1

 佐賀県伊万里市にある川南造船所跡を訪ねてきた。1955年に倒産後、半世紀以上も放置され、建物は朽ち果てるに任されてきたが、伊万里市は今年2月、解体方針を公表した。跡地は緑地公園として整備するという(「川南造船所跡」の追記参照)。建物は現在、蔦や草木に覆われ、緑の廃墟と化しているが、来年度には完全に、あるいは大半が取り壊される可能性が高い。

 同造船所は戦時中、軍需工場として使用されており、製造していた兵器の中には、特攻兵器「海龍」(当初、人間魚雷「回天」と誤っていた。訂正する)が含まれていたと伝えられている。戦争遺産と考えれば、極めて重要な遺構であるのは間違いない。このため千葉県在住の男性が中心となり、遺構の保存を求める署名活動が展開された。新聞報道によると、この男性が先頃、599人分の署名を市と佐賀県に提出したというが、果たして伊万里市に翻意を促すことができるだろうか。

 地元住民の間には「早く解体撤去してほしい」との声が強いと聞く。治安上の問題に加え、「地域衰退の象徴になっている」という不満もあるらしい。確かに、現状の廃墟のままでは地域にとっては「負の遺産」でしかないだろう。似たような例として、福岡県志免町にある旧・志免炭鉱の竪坑櫓=写真下、1枚目=を思い出す。ここも1964年に閉山後、長いこと放置されていたが、最終的に所有者となった町は、やはり「負の遺産」として取り壊しの方針だった。ところが、櫓が予想以上に頑丈であることが判明したうえ、町に移り住んできた新住民の多くが「貴重な遺構」として保存を望み、結局、昨年10月には国重文に指定された(「志免炭鉱の竪坑櫓」参照)。

 川南造船所の場合、住民の心情を思えば、恐らく志免町のような大逆転は望めないだろう。保存か解体か、このようなケースで一番尊重されるべきは地元の意向だとは思うが、中には地元市町村や住民だけでは決めかねる、言い換えれば荷が重いケースもあるのではないか。例えば、長崎県佐世保市に残る針尾無線塔=写真下、2枚目=などは良い例だろう。高さ135~137mの3本の巨大なコンクリート製電波塔で、太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ」を送信したとも伝えられる。

 地元・佐世保市が取り扱いを検討中のようだが、これだけの遺構の先行きを自治体だけに委ねるのは国の責任放棄としか思えない。戦争遺産の多くは「負の遺産」かも知れないが、国の歩んできた道を正しく伝える貴重な生き証人であるのに変わりはなく、政府が責任を持って調査・評価を行ったうえで、保存策を講じるべきではないのか。こども手当のような無意味なばらまきに使う金があるのならば、自国の歴史をきちんと伝えることに使うべきだろう。

 川南造船所跡は、伊万里市から長崎県平戸市方面に向け、伊万里湾に並行して走る唐津街道沿いにある(一番下のグーグルマップ参照)。


旧聞に属する話2010-志免炭鉱

旧聞に属する話2010-針生無線塔





関連記事
スポンサーサイト
[Edit]