白昼暴れる幽霊

 福岡市西区北崎に伝わるという幽霊話を最近、『伝説の糸島』(鷹野斜風、糸島新聞社、1933)で読み、笑ってしまった。恨みをのんで死んだ老婆が凶悪な幽霊となり、住民らに復讐するという話。一見、笑える要素はないようだが、老婆の幽霊が出てくるのは、なぜか白昼で、しかも復讐と言っても誰かを取り殺すわけではなく、ひたすら大暴れするだけなのだ。博多の怪談に出てくる幽霊もドスドス歩いたり、博多弁を喋ったりして、いまいち怖さに欠けるらしいが、北崎の幽霊にも通じるところがある。

 老婆は生前、邪険な性格で家人にも嫌われ、病に倒れた時も親身には看病してもらえないまま息を引き取った(餓死させられたという説もあるらしく、この話ではここが一番怖い)。家人や近隣住民は悲しむどころか、かえって喜んだというが、成仏できなかった老婆は化けて出て、家人や住民を苦しめ始めた。『伝説の糸島』には、幽霊の暴れっぷりが以下のように記されている。

 此の婆は奇抜にも臨終其の儘少しも幽霊化せぬ物凄い形相で、少し日下りの白昼から「恨めしや」ともいはず、両手を下げずに現はれて、阿修羅王の荒るゝが如しと形容されるやうに乱暴を働き手当たり次第に投打をする、人を追捲くる、夫れは夫れは非常の狂態を演ずるので、家人が泣叫んで逃げ匿くれると、幽霊は家から飛出して近隣の家に乱入して狼藉を極むると云ふ一寸一風変わった幽霊であった。

 一寸一風どころか、相当変わった幽霊で、生きた人間の振るまいとしか思えない。困り果てた住民たちは大がかりな施餓鬼を行い、老婆に成仏してもらおうとしたが、幽霊は、多数の僧侶が読経している最中に「憤怒の形相」で乱入し、例によって大暴れ。僧侶たちは腰を抜かしてしまったという。話が面白いのはここまでで、消化不良の結末を迎える。住民たちは最後の策として某高僧に怨霊退散を依頼、この高僧が「或る法力」を持って老婆を八万地獄のどん底に落とし、さすがの老婆もその後は姿を現さなかったというのだ。高僧が何をしたかは具体的には何も書かれておらず、また、「一ツ愚衲(わし)が懲して遣ろう」と請け合ったり、悲惨な死に方をした老婆を成仏させるでもなく地獄に叩き落としたりと、あまり高僧らしからぬ振る舞いが印象的だ。

 この話がいつの時代のものかは不明だが、冒頭には「古老の話に依ると、餘り古い事ではないらしいが」とある。『伝説の糸島』の出版年(1933年)を考えれば、例えば、幕末や明治初期など、意外に新しい時代に生まれた可能性もあるのだろうか。福岡市総合図書館にある明治時代の新聞データベースで、試しに「幽霊」を検索したところ、想像以上に多い200本以上の記事が見つかった。一部の記事の見出しは以下の通りで、何本かを読んでみたが、どれも伝聞だけで、当たり前だが、記者が幽霊を実見した例はなかった。同じ明治時代でも、20世紀に入り、新聞の体裁が現在に近付いていくと、こういった記事も次第に減っていく傾向が見られた。

「浄業寺の幽霊話、先住に捨てられ井戸に身投げした女の亡霊」
「火の玉怪談、先ごろ吉原で情死の遊女と男を合葬した墓から毎晩出るとか」
「登保加美講先達の妻が病死、幽霊姿で夫の遊女買い止めさせる」
「夫婦が借りた貸座敷の部屋に幽霊、駆け付けた巡査も憶病風」
「釣りで暴風に遭い水死した男の幽霊話、僧招いての供養で収まったという」
「客2人が急死の貸座敷、幽霊出るとの評判に正体見たさの人で大繁盛」
「古着をだまし取った夫婦、老行商人の幽霊に悩まされ家に居られず」
「嫁をいびり殺して連れ子を後釜にした母親、婚礼の晩から怨霊におびえる」
「嫁に加担の息子にもいびられた母が身投げ、幽霊が出る評判」
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