続・五郎山古墳の壁画

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 装飾古墳として有名な筑紫野市原田の五郎山古墳で21日、石室の一般公開が予定されている。せっかくの機会と思ったのだが、当日は残念ながら仕事だった。普段ならば一般公開の日以外でも5日前に予約すれば、見学可能で、別に落胆する程でもないのだが、今年は一般公開直後の11月1日から石室の保存改修工事が始まり、来年3月31日までは見学不可となる。改修工事完成後の一般公開を待つしかない。

 5年前に書いた「五郎山古墳の壁画」の中で紹介しているが、古墳の麓には2001年開館の五郎山古墳館があり、館内には石室の実物大模型が展示されている。この古墳が名高いのは、玄室奥壁に赤、黒、緑の3色を使い、人物や動物などが伸びやかなタッチで描かれていることで、石室模型には躍動感あふれる壁画も再現されている。残念ながら実物は劣化が激しい。石室の保存改修工事を知らせる筑紫野市公式サイトのページに、撮影年不明ながら、その写真が掲載されている(写真1枚目)が、古墳館のレプリカ(写真2枚目)と比べると、やはり全体的に色あせ、輪郭もぼやけてしまっており、辛うじて命脈を保っているという状態だ。

 この古墳は1947年に発見され、早くもその2年後には国史跡に指定されたのだが、保存管理は発見者であり、土地所有者でもあった男性に委ねられ、国からは捨て置かれたも同然だったことが『装飾古墳紀行』(玉利勲、新潮社、1984)に書かれている。石室入り口には鍵がかけられ、土地所有者の許可なしに立ち入りはできなかったのだが、現実には鍵を壊して不法侵入する者が相次ぎ、彼らが明かり代わりに使ったロウソクの煤で一部の壁画は真っ黒に汚れ、白カビの増殖も激しかったという。このため1978年、石室はいったんは完全に閉じられ、非公開となった。ガラス窓越しに壁画を見ることができる観察室が完成し、23年ぶりに公開されたのは、古墳館の開館と同じ2001年のことだ。

 この壁画は何を意味しているのか。「五郎山古墳の壁画」の中で、壁画発見直後に調査した研究者が「知っている文様を適当に描いたのだろう」と述べたことを、「それではまるで落書きである」と批判的に取り上げたことがある。この研究者とは著名な考古学者で、五郎山古墳を世に広めた人物でもある京都大の小林行雄氏(1911~1989)だ。この機会に、『筑紫野市史』資料編(2001)に収録されている「五郎山古墳の装飾壁画」(筆者は小田富士雄・福大名誉教授)を読んだところ、意外にも小林氏の見方は主流だったらしく、「全体としては一連の物語りを表現するものではない、自由な生活描写的な画題と見る考え方が以後大勢的となっている」と記されていた。

 もちろん、他にも多様な説があり、「被葬者の生涯の中でも印象的な場面をいろいろ描き込んでいる」「被葬者の一代記というべき性格」という見方に、個人的には最も魅力を感じた。被葬者が生前、朝鮮半島に出兵し、勇敢に戦った一こまを描いたものではないか考える説もあるという。小田名誉教授は、こういった考え方に対し「古墳壁画の本質は死者の鎮魂儀礼にあることに思いいたすとき、このような史実のみで壁画を律してしまうのは、政治史的立場を重視するあまりの短絡的評価ではないかという指摘も不当ではない」と批判的だが、壁画に史実が込められているのならば、やがては被葬者を特定することも可能ではないかと夢が広がる。
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