失われた「がっしゃい言葉」

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 福岡市には昔、博多弁とは全く別の「がっしゃい言葉」という方言があった。藩政時代、武士階級の間で話されていた言葉で、例えば「こっちに来てください」は「こっちに来てがっしゃい」、「行かれる」は「行きがっしゃる」と使われていた。中央区の旧武家町では、戦後も高齢者の間で話されていたと言われるが、現在は消滅状態らしく、福岡市に長年住んでいる私も、この言葉が話されるのを一度も聞いたことはない。文化庁はアイヌ語や沖縄県の八重山方言、与那国方言などが消滅の危機にあるとして、保存、継承のための取り組みを行っているが、がっしゃい言葉は誰に守られることもなく静かに消え去ったようだ。

 がっしゃい言葉の存在を初めて知ったのは、福岡シティ銀行(現・西日本シティ銀行)が発行していた小冊子『博多に強くなろう』でだった。このシリーズの中に1981年、秀村選三・九州大教授、イラストレーターで博多町人文化連盟理事長でもあった西島伊三雄さんらが城下町・福岡の町並みについて対談した回があり、この中で西島さんが「先生、ついでに昔の福岡のがっしゃい言葉を覚えてあるなら、ちょっとお話ししていただけませんか」と持ち掛け、これに秀村教授が「私が少年の頃は、『どうしてがっしゃあな』とか、『貸してがっしゃい』『おいでない』なんて言ったり、聞いたりしてましたね」と答える箇所があったのだ。

 秀村教授は1922年(大正11)の生まれ。戦前、がっしゃい言葉が当たり前に使われていたことが先の発言からわかる。一方で、教授は「このごろは『どうしてがっしゃあな』なんていうと妙な目で見られるので、『どげんしてござあですな』と言ったりしますね(笑)」とも話しており、この対談が行われた昭和後期には、がっしゃい言葉は消滅寸前の状態だったのだろう。西島さんは、がっしゃい言葉について「私たち博多のものからすれば、やっぱり城下町の言葉だなあ、と思って聞いていましたね」と語っており、博多弁に比べ上品、あるいは堅い言葉だと認識されていたようだ。

 がっしゃい言葉についての資料は、他には市総合図書館にもほとんどなく、唯一、春日市在住の方言研究家が2005年にまとめた『がっしゃいことば 福岡城言葉』という3ページの小冊子があるだけだった。この冊子には研究家が聞き取りなどで集めた30あまりのがっしゃい言葉が、その現代語訳とともに紹介されている。収録されている言葉のうち、いずれも下級武士を皮肉った「たにわくろう」「ちんちくどん」などは比較的有名だと思うが、「しかちゅーこいとる」(不手際なこと)、「しゃんしゃん」(武家娘)、「とんとん」(武家息子)などは未知の言葉だった。がっしゃい言葉は、黒田家の故郷の備前岡山弁と博多弁が交じって生まれた、というのが著者の方言研究家の見立てだ。

 『九州方言考―ことばの系譜』(読売新聞社、1982)という本の中で、作家の原田種夫さんは「昔は、那珂川を境として、川の東が町人の町として博多方言、西が士の町として福岡方言を使っていた。おそらく、画然と言語生活に違いがあったと思う」と書いている。なのに、なぜ博多弁は生き残り、がっしゃい言葉は消えたのか。約30万人とされる福岡藩の人口の中で、武士階級が占める割合は数%。もともと使い手の少ない言葉だったため、近代化の波にあっさりのみこまれたのだろうか。(写真は西公園・光雲神社の母里太兵衛像)
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コメント

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No title

熊本の知り合いから 熊本弁は加藤清正公が熊本城築城の時に多くの名古屋人を連れて来て
名古屋弁と地元の言葉と混じり合って出来たて言葉だと聞いた事があります。歴史って至る所に残っているんだなあと思います。
地元佐賀弁も公家言葉がなまった言葉が残ってますが若い人は使いませんしね(笑)

こうして無くなっていくのも歴史の定めなんですかね。

Re: No title

コメントありがとうございました。
おっしゃる通り、歴史は至るところに残っていると思います。しかし、それが私などには見えず、見えても理解できないことも多い。この変なブログを書き始めたのも、福岡の歴史を自分なりに考えてみたいという狙いでしたが、なかなかうまくいきません。

その

ブログが僕の楽しみです^_^
福岡が地元ではないのですが勉強出来楽しく拝見させて頂いてます!

Re: その

ありがとうございます。過分なお褒めをいただき、励みになります。

お尋ねの件について

 お尋ねの「がっしゃい言葉」の資料について回答いたします。私もブログを書くに当たって色々資料を当たりましたが、残念ながら「がっしゃい言葉」についてのまとまった資料を見つけることはできませんでした。本文中に紹介した『がっしゃいことば 福岡城言葉』が唯一の資料です。福岡の方言についての研究書等でも博多弁だけが取り上げられ、「がっしゃい言葉」は無視されているのが現状のようです。
 何とか生きた用法を見つけたいと思い、「がっしゃい言葉」を話していたであろう人物(中野正剛、広田弘毅、頭山満等々)の自伝、評伝の類もめくってみましたが、当然というべきか全てが標準語で書かれており、空振りでした。
 しかし、こういった自伝、評伝を丹念に調べる以外に方法はないのかなと思います。お役に立てず、申し訳ありません。