大野城の「御笠の森」

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 以前から気になっていた大野城市山田2の「御笠の森」に行ってきた。神功皇后の笠が突風で飛び、この森に引っ掛かったことから名付けられたという伝説を持ち、明治時代まであった御笠郡(旧・筑紫郡の一部で、現在の大野城、筑紫野市などに当たる)の名の由来ともなった由緒ある森だ。博多を流れる石堂川も、この辺りでは御笠川と呼ばれている。この森の何が気になっていたのかと言えば、小学校高学年時代にこの付近に住み、森は生活圏のど真ん中にあったはずなのに、全く記憶にないのだ。

 つい先日のことも覚えていない人間ではあるが、ボロ自転車で近隣はおろか、別の小学校区まで走り回っていた小学生時代の記憶は結構鮮明だ。なのに御笠の森については写真を見ても全く見覚えがなく、現地に行ってみても何一つ記憶はよみがえらなかった。繰り返すが、かつての生活圏のど真ん中に森はあり、住んでいた家や通っていた小学校も近くにあった。高学年になっても虫取りに明け暮れていた当時の行動パターンを考えれば、必ず行ったことがあるはずなのだが、私が住んでいた1970年代当時と比べ、街並みがあまりにも様変わりし、実のところ、かつて暮らしていた街は森以外も完全に未知の場所になっていた。

 御笠の森があるのは、大野城と飯塚とを結ぶ県道バイパス沿い。昔はなかった片側2車線の広い道で、御笠の森の周囲には戸建て住宅やマンションが立ち並んでいる。森にはスダジイ、タブノキ、ヤブツバキ、ヤブニッケイなどが自生(?)し、「西南日本の代表的照葉樹林の姿を残す」として1995年5月、大野城市の天然記念物に指定されている。ただ、森の広さは、せいぜい住宅2~3軒分といったところで、木の数も十数本程度。生態系的には貴重な存在なのかもしれないが、規模的には非常にちっぽけものだ。私が住んでいた頃もこの一帯はすでに住宅地ではあったが、所々農地も広がり、また、この程度の樹林は神社はもちろん、大きな農家の庭先などにもあった。森など当たり前の存在だったから、印象が薄いのだろうか。

 御笠の森は、貝原益軒が編纂した福岡藩の地誌『筑前国続風土記』に、「むかしは大木多くありて、茂れる林なりしが、今はむかしの森のしるしとて、楠二株残れり」などと記録されている。『続風土記』は1709年(宝永6)の完成で、この時代にはクスが2株残っていただけなのだから、現在の森はそれ以降に形作られたものだろう。神功皇后伝説に彩られているとは言え、古代の姿を残しているものではないわけで、実際に見た印象もそれほど歳月を経た森には思えなかった。

 『続風土記』にはまた、御笠の森に絡み、「思はぬをおもふといはば大野なる美笠の森の神ししるらん」(末尾を「神し知らしむ」とする資料もある)という万葉歌が記されている。別の資料には、不義の疑いをかけられた女性が夫に潔白を訴えた歌だという解説があったが、歌の作者は大宰府の役人だった大伴百代という男性で、この解釈は恐らく間違いだろう。森には1969年、当時の大野町によって建立された万葉歌碑があり、この歌が刻まれている。
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