変化を続ける箱崎の風景

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 先日、福岡市東区箱崎の県立図書館で調べ物をしたついでに、界隈を散策してきた。過去に解体を取り上げたことがある九大の旧法文学部本館や筥崎宮の大鳥居はきれいさっぱり取り壊されていた。どちらも老朽化が進み、特に旧法文学部本館に関しては「寿命に達している」とまで診断されていた建物だから、解体は仕方がない。仕方はないが、そこにあるべきものがない風景には、やはり違和感を覚えた。(写真1枚目が旧法文学部跡地、2枚目が大鳥居が消えた筥崎宮参道)

 九大の箱崎キャンパスから伊都キャンパス(西区)への移転は、当初のスケジュールを1年前倒しして今年度中に完了予定。箱崎キャンパスでは現在、校舎解体が急ピッチで進み、立ち入り禁止区域が広がっていた。学生の姿が消えたキャンパス内で、代わって見かけたのは解体前の校舎を写真に収める人たちだ。中高年世代が多かったが、残された校舎を様々な角度から熱心に撮影する若い男性もいた。ノスタルジーと言うよりは、無為に消え去って行く近代建築を惜しんでの行動のように思えた。

 箱崎地区では1992年度から2015年度にかけて、JR鹿児島線の立体交差化に併せて大掛かりな区画整理事業が行われた。もともとJR、福岡市営地下鉄の駅を複数抱え、通勤・通学等には非常に便利な地。九大の移転で揺らいでいた学生の街は、区画整理事業によって一気にファミリー世帯向けの街へと転換し、鹿児島線沿線などには現在、大規模なマンションが林立している。今でさえ、学生街が健在だった頃の面影をたどることは困難だが、42.6㌶に及ぶ箱崎キャンパスの跡地利用が本格化していけば、箱崎の風景はさらに大きく変貌していくことだろう。

 ところで、九大の移転構想は、伊都キャンパス以前にも持ち上がったことがある。博多湾東部を埋め立てて建設された人工島・アイランドシティへの移転も検討されたらしいが、記録に残るものとしては1982年に当時の九大学長が発表した春日原移転構想が有名だ。具体的に移転候補地と目されていたのは、1972年に米軍から返還された春日原米軍宿舎跡地(計約156㌶、大半は春日市)。4月に書いた「県庁は春日原になる可能性があった」で、この土地が県庁移転の有力候補地だったことを紹介したが、実は九大移転の候補地でもあったのだ。JR鹿児島線、西鉄大牟田線沿いの広大な土地は、それほど魅力的だったのだろう。

 全面移転が実現しなかったのは、『春日市史』によると、地元側が九大を嫌ったためだとされている。理由の一つは、九大側が米軍宿舎跡地のほぼ全域を移転用地として望み、公園整備等を検討していた春日市側が難色を示したこと。さらに、激しい学生運動の記憶がまだ強烈だった時代でもあり、「学生運動の拠点ともなりかねない」というのも大きな反対理由だったという。確かに、墜落したファントムが建設途中の校舎にいつまでもぶら下がっていたり、過激派学生と警官隊との激しい衝突の舞台となった教養部は廃虚と化していたりで、学生運動最盛期の九大のイメージは決して健全なものではなかった。春日市の忌避は、理解できない話ではない。
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コメント

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変貌ぶり

今年3月末に見た箱崎が更に変わり果てていて、まるで嘘のような光景です。
80年代、医学部にあった廃墟のような建物や、公害病認定に関する少々過激な立て看板がたくさんあったのが子供心に印象的でしたが、今の風景からは想像すらつかないですね。

九大文系キャンパス

こんにちは。
私は1998年から2005年まで福岡に住んでおりました。
福岡は大好きな街で、ブログいつも興味深く読ませてもらっております。
実は九大文学部の卒業なのですが、箱崎は永らく行っておりません。
もう解体はこんなに進んでいるのですね。
近いうちに現地を訪れてみたいと思います。
昔の面影はほとんどないのでしょうが。
正直、箱崎周辺は暗いイメージがありましたが、
区画整理事業で道路が広くなったり、JRの駅も綺麗になったりで、かなり明るい街になっているようですね。

箱崎

vega様、佐世保人様、コメントありがとうございました。
箱崎キャンパスで保存が正式に決まった建物は旧工学部本館と本部第一、第三庁舎、門衛所、正門のわずか五つです。恐らく他の建物は全て取り壊され、更地になることでしょう。要するに正門の一角付近だけがかつての九大の姿をとどめることになります。
惜しい気がしますが、壊すのならば、さっさと作業を終え、早く新たな箱崎のまちづくりに取り掛かるべきではないかと思います。
跡地利用についての動きが本格化するのはこれからでしょうが、箱崎中学校の移転はほぼ決まっているようです。