平塚川添遺跡

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 福岡県朝倉市にある国史跡、平塚川添遺跡に遊びに行って、少し驚いた。好天の土曜の午後だというのにガラガラだったのだ。写真を見て、お分かりいただけると思う。弥生時代の環濠集落が美しく復元されているが、広大な敷地にはまったく人影がない。小一時間ほどの散策中、出会ったのは地元民とおぼしき自転車の女性だけだった。周囲の畑からきつい堆肥のにおいが漂っており、これが一因かもしれないが、佐賀県の吉野ヶ里遺跡と並ぶ史跡公園がこれほど不人気とは、少し残念に思った。

 平塚川添遺跡の発掘から保存に至るまでの経緯は、吉野ヶ里遺跡と非常に似通っている。遺跡が発見されたのは、ともに工業団地造成の際。工業団地計画がすでに進んでいたこともあり、最初は保存が危ぶまれたが、発掘が進むに従って「戦乱の世」だった弥生時代の実相を示す遺跡の重要性が次第に明らかになり、最終的には国史跡(吉野ヶ里はワンランク上の国特別史跡)に指定されることになった。発掘調査終了後、埋め戻された遺跡にはいずれも「弥生時代のクニ」が復元され、史跡公園となっている。

 ただ、一つ大きく違うことがあるとすれば、史跡公園の規模だろう。吉野ヶ里は現在もなお整備が続いているが、すでに開園した部分だけでも70haを超え、復元集落以外にも展示施設やレストラン、売店、遊具のある広場なども備える一大観光施設となっている。

 これに対し平塚川添は12haほどで、復元集落以外では小ぢんまりした体験学習館があるだけだ。ただし、この集落は「古代の景観」を再現するため、非常に手間暇かけて復元されている。環濠には実際に水が張られているほか、植樹についても、発掘調査の際に見つかった花粉を参考にクヌギやクリなどの木が植えられている。学習施設と考えれば、極めて優れた代物と思うが、だからなおさら、観光面で色気が感じられないのが惜しいと思う。工業団地計画を一部変更して遺跡を保存した際、経済効果の面から反対した地主らに対し、行政側は史跡の観光活用を訴えて説得したはずだが。

 写真でも分かるように、集落の植栽はきちんと手入れされていたが、建物の中には鳥のフンで汚れているものもあり、この史跡公園が普段から不入りらしいと想像された。また、市内の幹線道路には公園の方角を示す案内標識が辛うじてあったが、周辺にはまったく案内標識・看板等がなく、不親切極まりなかった。吉野ヶ里のように施設を充実させることは財政的に難しいかもしれないが、この遺跡にもう少し人を呼び込む手段はほかにもあるのではないかと思う。

 【平塚川添遺跡】弥生時代中期から後期にかけての環濠集落跡。周囲に幾重にも濠を巡らし、中心集落の周りには、環濠で区切った別区と言われる衛星集落があったとみられている。1994年、国史跡に指定。史跡公園は2001年5月に開園した。高床式建物や竪穴式住居など13棟の建物が復元されている。






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