軍用機献納運動と「福岡市号」

クリップボード

 福岡市博物館で夏恒例の企画展「戦争とわたしたちのくらし」の27回目が開かれている。今年のテーマは戦時期の宣伝戦略で、戦意高揚、戦争遂行のために制作されたポスターなどが展示されているが、目を引いたのは、朝日新聞提唱の「軍用機献納運動」のポスターだ。国民から金を集めて軍用機の製造費用に充てようというもので、ポスターには「千機二千機われらの手で」「更に銃後の赤誠に想ふ」などの言葉が並んでいる。ただ、朝日新聞だけがこの運動を進めていたわけではなく、他の新聞社も運動を礼賛し、協力していた様子で、例えば、1932年(昭和7)2月2日の読売新聞には「全国各地に巻き起る軍用機献納の美挙!」の見出しが踊っていた。

 献納運動には福岡市も1933年、市一丸となって取り組み、7万5000円を集めて九一式戦闘機1機を陸軍に贈っている。この戦闘機は「愛国第九三福岡市号」と命名され、この年の12月2日、箱崎の埋立地で献納命名式が行われている。その模様を『福岡市市制施行五十年史』(福岡市、1939)は一節を割いて次のように記している。

 「佐藤中尉操縦の下に晴の処女飛行を行い、銀翼燦々と碧空に耀き、横転逆転、あらゆる高等飛行の粋を尽し、僚機二台に迎えられて、雄姿颯爽、南大刀洗の彼方に飛び、怒涛の如き市民の歓呼に送られて、雲間遠く晴の機影を没し去ったが、時に正午を過ぐるまさに五分、この歴史的なる盛式こそ、福岡市民愛国表徴の第一塔として、感激と興奮、唯明日の健闘と雄飛、勝利と成功、幸と栄光とを祈るの外になにものもなかったことはいう迄もない」。

 戦時期の資料であることを割り引いても、ずいぶん美辞麗句がゴテゴテ並んだ文章だが、これが戦後に刊行された『福岡市史』昭和前編(1965)になると、一転して軍用機献納運動についての記載は一切なく、1933年の年表に「四月 福岡号命名式挙行」とあるだけだ。しかも『市制施行五十年史』とは開催日も異なる。献納運動の評価は敗戦と同時に「美挙」から「愚挙」に180度変わり、市史に記録すべき話ではなくなったのだろう。博物館を出た後、隣の市総合図書館に行って、関連資料を探したのだが、献納運動について書かれたもの自体がほとんど見当たらなかった。

 九一式戦闘機は、機体の上に主翼が配されたセスナ機みたいなフォルムの戦闘機で、愛国機にはこの機種が多かったという。名機との評価もあったというが、国立公文書館アジア歴史資料センターにデジタル保存されている文書によると、福岡市の献納からわずか2年後の1935年頃には、九一式戦闘機は主力戦闘機の座から降り、次々に「廃兵器」として処分されていったようだ。実戦での出番はほとんどなかったらしい。「福岡市号」の消息はたどれなかったが、恐らくこの機も戦闘に参加することなくお役御免になったのではないだろうか。
関連記事
スポンサーサイト
[Edit]

コメント

非公開コメント