日拝塚古墳出土の金製耳飾り

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 福岡県春日市の日拝塚古墳で1929年(昭和4)に起きた盗掘事件を以前取り上げたことがある(「日拝塚古墳盗掘事件」)。この事件で2,000点を超える副葬品が同古墳に眠っていたことが明らかになり、これらは全て帝室博物館(現在の国立博物館)に召し上げられたが、なぜか金製の耳飾り1点だけが地元の「奴国の丘歴史資料館」に展示されている。「(伝)日拝塚古墳」の但し書き付きで。なぜ「伝」なのかと言えば、この耳飾りは国立博物館から入手したものではなく、1984年、春日市が個人から買い取ったものだからだ。

 春日市が耳飾りを手に入れた経緯は次の通りだ。古物収集を趣味にしていた福岡市の男性が亡くなり、高齢の未亡人のもとに、男性が生前「これは日拝塚古墳の出土品だ」と話していた耳飾りが残された。貴重な文化財だと考えたのか、未亡人は春日市に譲渡を申し入れ、これを受けて市側は九州歴史資料館などに鑑定を依頼した。この結果、「国立博物館所蔵の日拝塚古墳出土品の中に、金製垂飾付耳飾(きんせいすいしょくつきみみかざり)があるが、形や細工が同一であることから、これと対をなしていた飾りにほぼ間違いない」ことがわかり、市は59万円で買い取ったのだ。(参考文献は1984年7月23日の読売新聞地方版記事など)

 耳飾りが福岡市の男性の手に渡った経緯の方は不明らしいが、盗掘事件のどさくさの中で何者かが秘匿し、巡り巡って男性のもとに渡ったものと思われる。日拝塚古墳の盗掘事件について改めて振り返っておくと、お宝を探し当ててひと儲けしようと企んだ3人組の男たちが1929年6月7日夜から翌未明にかけて、古墳の石室に侵入し、この時まで残されていた副葬品をごっそり盗み出した。しかし、古墳が荒らされたことに気付いた村人たちによって男たちはすぐに捕えられた。副葬品も無事だったが、当時の遺失物法に基づき、帝室博物館に送られることになったという。

 耳飾りは現在、奴国の丘歴史資料館の考古資料展示室のガラスケースに、他の展示品とともに並べられている。長さ8㌢、重さは22㌘程の小さなもので、金の輝きは保ってはいるが、展示品の中でそれほど目立った存在ではない。ただ、資料館近くの道路にあった案内板には、この耳飾りのイラストが描かれていたことを考えると、やはり春日市を代表する考古資料であり、資料館にとっても目玉展示品なのだろう。2,000点以上の副葬品が出土しながら、地元に残されているのは、いわくつきの耳飾り1点だけというのは寂しい限りで、せめて対となっている耳飾りぐらいは地元に戻してくれても良いと思う。

 奴国の丘歴史資料館は、『魏志倭人伝』などに出てくる奴国の王墓とされる須玖岡本遺跡の一角にある。小規模な資料館だが、一帯は歴史公園として整備され、弥生時代の甕棺墓を、発掘された当時の状態のまま保存・公開しているドーム型の覆屋2棟も併設されている。入館無料。


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