悲惨というより壮絶だった戦後開拓

 古い新聞の切り抜きに、目を引く記事があった。福岡県内の山間部にある某戦後開拓地の一つを取り上げた1965年1月11日の読売新聞朝刊地方版の記事で、「また一人さびしく下山」「15年、ついに報われず」「春のない辺地」などの見出しの下、過酷な環境で経済的にも厳しい生活を送る入植者を救うため、地元の市役所が下山を勧めていることが書かれていた。記事によると、この開拓地は1951年に開かれ、入植者たちは山を切り開いて畑作農業を営んできた。しかし、車が通行できる道までは6㌔の山道を登り下りする必要があるため、作物の出荷は思うようにいかず、記事の書かれた当時は5戸が開拓地にとどまっていたものの、現金収入はほとんど得られず、自給自足に近い生活を送っていたという。

 興味を覚えて、この開拓地について調べてみた。1965年1月の時点で、行政が住民に離村を勧めていたのだから、恐らく集落は消滅しているだろうと予想したが、住宅地図の該当ページには、他の集落から遠く離れた山間部に、寄り添うように建つ2軒の住宅が記されていた。念のため、市役所に電話で確認すると、やはり2世帯が今も暮らしているとのことだった。自治体名や集落名を伏せたのは、これが理由だが、わずか2世帯とは言え、開拓地が今なお存続していたことは驚きだった。

 この開拓地の苦闘ぶりは、1981年に発行された市史にも紹介されている。開拓地は標高560㍍の「山間僻地」にあり、1951年から翌年にかけて市内外から13戸が入植し、焼き畑農業から出発して開拓が進められた。入植者たちはサトイモ、ソバ、サツマイモ、ダイコン作りに懸命に取り組み、中でもダイコン生産は一時、有望視されていたという。しかし、読売新聞に書かれていたように、交通不便な僻地だったことが仇となって量産体制、出荷体制が整わず、さらに子供の教育の問題や医療施設がないことなどもネックとなり、市史執筆の時点で入植者は3戸に減っていたという。市史のこの項目は「長年の努力で開拓された畑地は、しだいに元のような植林地に変わりつつあるのが現状である」と結ばれていた。

 時系列でまとめると、1951~52年に13戸が入植したが、読売新聞が取り上げた65年には5戸にまで激減し、市も残る住民に離村を勧めていた。しかし、市史発行の81年時点でも3戸がとどまり、入植開始から70年近くがたった今も2戸が暮らしている。市の勧めに応じなかった理由はわからないが、辛苦を刻んだ土地から離れ難かったのだろうか。

 戦後開拓について簡単に振り返っておくと、終戦直後の食糧難の時代、開拓等によって農地を広げて食糧増産を図るとともに、復員軍人や引き揚げ者らに働く場を与えるのが目的だったとされる。終戦の年の1945年11月に閣議決定された緊急開拓事業実施要領には、その方針が次のように記されている。
 「終戦後ノ食糧事情及復員ニ伴フ新農村建設ノ要請ニ即応シ大規模ナル開墾、干拓及土地改良事業ヲ実施シ以テ食糧自給化ヲ図ルト共ニ離農セル工員、軍人其ノ他ノ者ノ帰農ヲ促進セントス」

 戦後開拓によって切り開かれた農業地帯としては、九州では宮崎県川南町の広大な川南原開拓地が代表的な存在で、川南町は有数の酪農・畑作地帯として知られている。しかし、あまりに過酷な環境に入植者が離散し、閉鎖され消滅した開拓地も少なくないとされ、戦後開拓を「一種の棄民政策だ」と批判する意見もある。福岡県の戦後開拓については、概観した資料を見つけることができなかったが、『戦後開拓史(完結編)』(全国開拓農業協同組合連合会、1977)に、お隣の佐賀県の研究者が『戦後開拓行政の一考察』と題した一文を寄せていた。同県では127の開拓地があったが、この当時、9地区がすでに閉鎖され、残った地区の中にも20数戸の入植者が2、3戸にまで減っていたところもあったという。閉鎖地区について、研究者は次のように記している。

 「この閉鎖地区の存在こそが、戦後開拓のすさまじい様相を物語っていると私は思う。入植者は裸一貫で現地にはいり、鍬1本で開墾にいどむことになる。入植者は貧しい食生活に耐え、渾身の力をふりしぼって努力するが、過酷な自然条件は開発を頑として拒絶する。人々は精魂を使い果し、力つきて脱落していく、それが閉鎖地区である。戦後開拓には、こうした閉鎖地区の多いことが一つの特色である」

 『一考察』にはこのほか、入植当時の住宅が「古代人の住み家」同然だったことや、開拓地への電気導入事業が佐賀県で終わったのは1967年で、戦後20年を経てもランプで暮らしていたことなどが書かれている。劣悪な生活環境のため、2人の幼子を相次いで失い、「亡き子らに詫びる」と題した手記を寄せた男性もいたという。これらの体験談に触れた執筆者は、「凄惨な思い出」と表現し、「当時の思い出話は悲惨というより、何か壮絶な感じさえしたものである」と記している。
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