2023/05/09 自然&生き物 続・キジを初めて見た 暴風(雨)だった5、6、7日の3日間に比べ、8日はいくぶん風が治まった。家族が鯉のぼりを洗って干したところ、「ケーンケーン」という鳴き声が聞こえた。キジだ。窓に駆け寄ってみると、思いのほか近くにいた。 キジが羽ばたいところ、「ケーンケーン」という鳴き声を聞いた。 ニコンのデジタル1眼レフカメラ(D3200)、キャノンのデジカメを用意した。ニコンのデジ1がピンボケ写真だったが、キャノンの方がマシだった... 続きを読む
2023/04/27 歴史雑記 宗甫の皇太神社 印西市宗甫(そうほ)に、小ぢんまりとした皇太神社がある。千葉ニュータウン(住宅地)の外れにあり、近くには竹林、隣は保育園、道を挟んだ向かい側に牧の原公園がある。 敷地は約300坪。鳥居は真新しい。『宗甫皇太神宮記念碑 鳥居建立寄進者御芳名』として14人の名前が記されており、平成二十八年(2016年)建立したとあった。社の左手には庚申塔など10基が並んでいた。 宗甫は江戸時代、「惣深の陣屋に伺候していた漢... 続きを読む
2023/04/15 自然&生き物 キジを初めて見た 印西市で時折、キジを見かけた。郷土玩具「きじ車」(福岡、熊本など)を見たことあるのに、キジは初めて見た。しばしば畑に来る。 オスは体長80センチ、ニワトリ大と聞いたことある。「ケーンケーン」という鳴き声は聞いたことがない。メスがいないためだろうか。日本の国鳥だが、狩猟が許される鳥。 休憩していたキジをカメラに収めた。15メートルぐらいはあったろうか。数枚ぐらいは撮ったが、ピンボケ写真は同じだった。後... 続きを読む
2023/04/02 歴史雑記 早春の印旛沼公園 3月31日、印西市師戸(もろと)の県立印旛沼公園に行ってきた。印旛沼に面してある。230本あるソメイヨシノやヤエザクラがあるが、ソメイヨシノは散り初め。予想外に早いと感じた。 歩き回っていたら「師戸城跡模式図」があった。読んでみると、印旛沼の対岸にある臼井城の支城のひとつで、14世紀に築かれたとみられる。現存する形になったのは16世紀の中頃と推定されるという。1590年(天正18年)、豊臣氏による下総攻略で、... 続きを読む
2023/03/23 街や世相 1973年に建てられた開拓記念之碑 草深稲荷神社(印西市草深)から西へ5分程のところに原青年館があり、『開発記念之碑』がある。千葉ニュータウンの造成に伴うもので、船穂開拓農業協同組合によって1973年2月に建てられた。1945年、印旛飛行場跡地の開拓から28年。船穂開拓農協の組合員約90人にはどのような思いでいただろうか。 1945年11月、緊急開拓事業実施要領に閣議決定され、時を同じくして印旛飛行場跡地に開拓の槌音が響いた。終戦直後の食糧難の時... 続きを読む
2023/03/20 歴史雑記 もう一度行った大師堂 もう一度、丸山観音堂(印西市草深)へ行った。図書館で調べていると、丸山観音堂の横に大師堂があり、89体の大師像が奉っているらしい。「あれが大師堂だったか」。歩いてそこに向かった。 石段を上がってみると、大師堂はあった。カギがかかっている。のぞいてみると、大師像は整然と並んでいた。3段あり、約15センチはあっただろうか。大師堂の中は薄暗いままだったが、スマホのレンズはすぐれものだった。 1860年代、備後... 続きを読む
2023/03/18 歴史雑記 丸山観音堂と草深稲荷神社 印西市を歩き回っている。旧・草深小(そうふけふれあいの里)に隣接したところに丸山観音堂(1枚目)がある。1778年(安永7年)、香取信賢によって創建された。この観音堂には1803年(享和3年)、俳句52句が納められた「雑俳額」が奉納されている。境内では、香取利彰が1823年(文政6年)に建てた「草深野鹿の碑」(2枚目の左端)があり、利彰の師、富小路貞直の短歌「草ふかき……」などが刻まれている。 実は、千葉県公式... 続きを読む
2023/03/10 街や世相 野菊の墓文学碑 中学生の頃、『野菊の墓』(伊藤左千夫)を読んだことある。政夫と民子のはかない恋、民子の悲劇的な結末……。同世代の若者が深く思いあっていると知り、感動した。この時、私小説を知った。思いのほか近くに野菊の墓文学碑があると聞き、出かけた。 松戸市下矢切、西蓮寺裏の境内にあり、「僕の家といふは、矢切の渡しを東へと渡り、小高い岡でやはり矢切村と云っている所」という書き出しで始まる。碑には「昭和三十九年十月」... 続きを読む
2023/03/06 街や世相 9年前に消えた草深原 印西市に民話がある。その一つに「草深原(そうふけっぱら)の狐」があり、菓子屋が狐に化かされる話で、印西牧の原駅の南北両口に掲示してある。昔のことと勘違いしていたが、草深原をネットで見つけた。ジョイフル本田(複合スーパー)の北側のあたりで、UR千葉ニュータウン(県有地)が2014年建設、業者が住宅地を建設した。つまり草深原は9年前に消えたのだ。 学術的な貴重な自然環境であったようだ。毎日新聞によると、「... 続きを読む
2023/03/02 歴史雑記 北総鉄道の沿線にあった市川歴史・考古博物館 市川市堀之内の市川歴史・考古博物館に行ってきた。ネットで北総鉄道の観光案内を見ていたら、北国分にある。北国分からは歩いて数分かからない距離と聞いて、それでは行ってみようとなった。 歩いて10分のところに歴史博物館にはあった。設立趣旨に「首都東京に隣接する地域として近年急激な都市化が進み、昔の人々の生活を理解していくために必要な多くの資料が消失しつつあります」とあった。30年近く前、市川に住んでいたこ... 続きを読む
2023/02/18 史跡探訪 印旛飛行場の『平和の碑』 昨年12月、千葉県印西市に印旛飛行場の無蓋掩体壕を紹介したが、そこから10分(自分の足では20分)の西の原公園に飛行場の記念碑『平和の碑』がある。併設されている『印旛地方航空機乗員養成所 陸軍飛行第23連隊 印旛飛行場』によると、1942年、印旛地方航空機乗員養成所を設置、1944年、戦局の悪化により陸軍飛行第23連隊を配置し、首都や硫黄島、北九州の防衛、一部は特攻隊として出撃したと言われている。 滑走路は2,000... 続きを読む
2022/06/15 歴史雑記 行基が建てた?松虫寺 千葉県印西市松虫の松虫寺に行って来た。松虫寺は745年(天平17年)創建。日本の僧、行基が立てたと言われる。 松虫寺の謂れは、聖武天皇の皇女松虫姫が不治の病にかかり、東国に行って祈れば、願いは叶うと言い伝えによる。行基はお付きとして従い、寺を建立した。聖武天皇は松虫寺と名付けさせたという。 「不治の病」が何なのか。『印旛郡誌』によると、「癩を病みてここに棄てらる。自らかなしみ此薬師仏を祈りて癒事を得... 続きを読む
2022/05/23 歴史雑記 印西市にあった宗像神社 千葉県印西市を歩き回っていると、宗像方面に向かうバスに巡り合う。まさか福岡県宗像市や宗像大社に関連はないだろうと思い、ネット検索で「印西市 宗像」を調べてみた。山ほど出てきた。宗像大社に関連がある。最寄りの印西市船尾に宗像神社があったので、行って来た。 周囲を見ていると、鳥居はない。「鳥居を建てると洪水になる」との言い伝えによるものだった。こじんまりとした神社だったが、にもかかわらず境内社の3社... 続きを読む
2022/05/08 スポーツ ZOZOマリンスタジアムで観戦 野球ではソフトバンクホークスを応援している。5月7日、ロッテ対ソフトバンク戦に千葉市美浜区のZOZOマリンスタジアムに行って来た。長男のお陰で畳敷きの「お座敷ボールパーク」で観戦した。PayPayドーム(福岡市中央区)ではあまり見ない。 家族が用意した弁当は、ZOZOマリンスタジアム弁当(1100円)、荻野貴司選手の勝飯(同)、佐々木朗希投手のサンマ弁当(1300円)の中から勝飯を選んだ。トンカツがトッピングされ... 続きを読む
2022/04/12 経済&観光 巨木、吉高の大桜 4月9日、印西市の「吉高の大桜」を見てきた。臨時駐車場から30分歩いただろうか。田園地帯を通ると、巨木があった。 吉高の大桜は、ヤマザクラ。樹齢300年と言われる。木の高さは10メートル以上、幹回り7メートル、枝葉は25メートルに及ぶ。1981年に市(印旛村→印西市)の天然記念物に指定されている。 市などではなく、農家の個人所有で、根元には氏神様が祭られている。かつては同じ規模のサクラが3本あったという。草餅... 続きを読む
2021/12/25 史跡探訪 印西市の無蓋掩体壕 千葉県印西市の無蓋掩体壕に行ってきた。戦時中、米軍の爆撃から飛行機を守る構造物で、1941~45年、印旛飛行場(逓信省航空局の印旛地方航空機乗員養成所、1944年頃から陸軍飛行隊23連隊によって首都防衛を果たした)の滑走路脇から見つかった。高さ約3㍍、幅約20㍍。小型の飛行機ならば、格納できる。上部は木で覆ったのだろう。 関東に引越した。コメントありがとうございます。... 続きを読む
2021/12/08 街や世相 室見川河口のオイルフェンス 福岡市の室見川河口のオイルフェンスが設置されている。先月28日、パナマ船籍の貨物船「レディーローズマリー」が博多湾防波堤に衝突して乗り上げた。流失した油が漂っており、オイルフェンスは予防のためだろう。 昨年8月、脳梗塞で倒れた。右半身の麻痺のため、ここまで書き上げるのに2時間。コメントありがとうございます。ご容赦ください。... 続きを読む