旧聞since2009

印旛飛行場の『平和の碑』

 昨年12月、千葉県印西市に印旛飛行場の無蓋掩体壕を紹介したが、そこから10分(自分の足では20分)の西の原公園に飛行場の記念碑『平和の碑』がある。併設されている『印旛地方航空機乗員養成所 陸軍飛行第23連隊 印旛飛行場』によると、1942年、印旛地方航空機乗員養成所を設置、1944年、戦局の悪化により陸軍飛行第23連隊を配置し、首都や硫黄島、北九州の防衛、一部は特攻隊として出撃したと言われている。 滑走路は2,000...

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印西市の無蓋掩体壕

 千葉県印西市の無蓋掩体壕に行ってきた。戦時中、米軍の爆撃から飛行機を守る構造物で、1941~45年、印旛飛行場(逓信省航空局の印旛地方航空機乗員養成所、1944年頃から陸軍飛行隊23連隊によって首都防衛を果たした)の滑走路脇から見つかった。高さ約3㍍、幅約20㍍。小型の飛行機ならば、格納できる。上部は木で覆ったのだろう。 関東に引越した。コメントありがとうございます。...

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考古学の不可解さが詰まった那珂八幡古墳

 先日、福岡市博多区竹下を歩き回った際、近くにある前方後円墳、那珂八幡古墳を5年ぶりに見てきた。昨年、市埋蔵文化財課が1985年以来の発掘調査を行い、古代史の定説に一石を投じる発見があったと報じられていたが、いったいどこを掘ったのだろうと思いながらも、なかなか行く機会がなかった。現地に立ってみると、今まで埋蔵文化財課のプレハブ倉庫(那珂整理室)があった場所がきれいな更地に変わっていた。ここは古墳の前方...

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稼働を待つ朝倉の水車群

 福岡県朝倉市の直売所に農産物を買いに行き、ついでに今月17日からの稼働を始める「菱野の三連水車」を見てきた。今年は5年に一度の作り替えの年に当たるらしく、水車はまだ骨組みの状態で、周囲には水を汲み上げるための柄杓など真新しい部品が積まれていた。新聞やテレビでは三連水車の話題しか取り上げられないが、ほかに久重、三島の二連水車が近くにはある。これらの水車群と、筑後川の水を供給する堀川用水は1990年、セッ...

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団地の公園みたいな板付弥生のムラ

 福岡市博多区にある板付遺跡は、我が国で稲作が始まった弥生時代初め(紀元前4世紀頃)の集落跡として全国的にも有名な遺跡で、1976年には国史跡に指定され、1995年6月には環濠集落を復元した史跡公園「板付弥生のムラ」が全面オープンしている。環濠集落のほかにも、水田や用水路、ガイダンス施設などを備えた立派な施設なのだが、全体の広さは2万8,000平方㍍弱と、佐賀県の吉野ヶ里歴史公園(広さは100㌶超)などに比べれば...

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本当に始まった福岡城潮見櫓復元

 福岡市中央区にある福岡城潮見櫓跡地で、工事が行われている。跡地が工事用フェンスで囲われ、潮見櫓の石垣保存修復工事を告知する看板が立てられていることを先日「福岡城潮見櫓の復元、ようやく着工?」の中で紹介したが、その工事が始まったものとみられる。工事予定地内の樹木伐採もすでに終わり、明治通り側から見た櫓跡地は、妙にすっきりした状態になっている。(写真1枚目が今月12日、2枚目が22日撮影。3枚目が城内側...

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福岡城潮見櫓の復元、ようやく着工?

 福岡市中央区の舞鶴公園お堀端にある潮見櫓跡地がフェンスで囲われている。フェンスの一角には、石垣の保存修復工事を告知する看板が立てられ、工事期間については「令和2年2月27日から令和3年8月31日まで」とあった。また、看板の横に掲示されているB4サイズの紙には、今年から潮見櫓の復元工事に着手するが、そのために13本の樹木を撤去すると書かれていた。福岡市が2014年に策定した『福岡城跡整備基本計画』では、潮見...

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宮地嶽古墳、被葬者は胸形か阿曇か

 以前、福岡県福津市にある新原・奴山古墳群の見学に行った際、家族が「嵐のCMに出ていた光の道の場所にも行ってみたい」と言うので、そのCMが撮影された同じ福津市内の宮地嶽神社に立ち寄った。この神社にも宮地嶽古墳という7世紀に築造された古墳があり、神社の奥宮となっている。新原・奴山古墳群は2017年7月、世界遺産に登録された「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の構成資産の一つだが、同古墳群も宮地嶽古墳も同...

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神籠石は朝倉橘広庭宮を守っていた?

より大きな地図で 神籠石式山城 を表示 神籠石(こうごいし)と呼ばれる列石遺構が、北部九州と瀬戸内地方の山中だけに十数か所残っている。文献には記録されていないため、築造時期や目的等は不明で、古代山城と考える研究者と、宗教的な遺構(神域)と考える研究者との間で長年論争が続いていた。現在では山城説が支配的で、「神籠石式山城」という呼び方もされるが、この山城説に絡んで興味深い考察が『新修志摩町史』(2009、...

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裁判所跡地、古代防衛施設の遺構確認調査へ

 福岡市中央区城内で、福岡地方・高等裁判所旧庁舎の解体作業が佳境を迎えている。裁判所とは全く無縁の人生を送ってきたので、別に恨みつらみはないが、あのいかめしい建物がボロボロになった姿を見ると、何となく痛快だ。この場所には、古代の迎賓館「鴻臚館」の関連施設で、博多湾の防衛を担った鴻臚中島館(博多警固所)があったとも推定されている。更地になった後は、遺構の確認調査が予定されており、この調査で、鴻臚館の...

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首羅山遺跡登山道、28日開通へ

 福岡県久山町にある首羅山(しゅらさん)遺跡の登山道が3月28日、開通する。藩政時代に貝原益軒(1630-1714)が著した地誌『筑前国続風土記』に滅亡の伝承が記録されながらも、近年まで存在が確認されていなかった幻の中世山林寺院跡で、標高289㍍の白山山中の広い範囲に遺構が広がっている。低山ながら登山道が未整備で、調査も続いていたため、これまでは年1回程度開かれる見学会に参加するしか一般人が目にする機会はなか...

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鷹キャンプついでに生目古墳群を散策

 先週末、宮崎市の「生目(いきめ)の杜スポーツ公園」で行われている福岡ソフトバンクホークスの春季キャンプ見学に行ってきた。しかし、午前中に雨が降ったため、予定されていた紅白戦は中止。しばらくはバスで宿舎に帰る選手の「出待ち」をしていたが、何となくもったいないと思い、スポーツ公園とは県道を挟んで向かい側にある「生目古墳群史跡公園」を散策することにした。2008年4月に開園した比較的新しい史跡公園で、広大...

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令和になって変わった金隈遺跡発見の経緯

 2年間にわたる改修工事が終わり、今年5月にリニューアルオープンした金隈遺跡展示館をのぞいてきた。金隈遺跡は弥生時代の共同墓地の遺構で、甕棺墓を中心に469基もの墓と136体の人骨が出土した。1985年に開館した広さ約360平方㍍の展示館には、125基の墓がほぼ発掘当時の姿で保存され、埋葬されていた本物の人骨4体さえも展示されているユニークな施設だ。改修工事の理由は、土中に含まれる塩分が遺跡表面を破損させていたた...

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宮崎市が掩体壕を取得・保存へ

 宮崎市がようやく重い腰を上げたようだ。宮崎空港(旧・海軍赤江飛行場)近くに位置する同市南部の赤江・本郷地区には、戦時中の1944年に造られた掩体壕7基が残っている。地元住民らからは長年、戦跡公園として保存・整備するよう求める声が上がっていたが、宮崎市は無視してきた。こういった戦争遺構の保存を図るには絶好の機会だと思われた戦後70年の節目(2015年)にも同市は重い腰を上げることなく、もはや機会を逸したと思...

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金栗四三の出生地で桜と史跡を見てきた

 熊本県和水町の国史跡・江田船山古墳、謎のトンネル遺構トンカラリンに花見がてら行ってきた。2年前の秋に両者を見学した際、史跡公園化された江田船山古墳の周囲に多数の桜が植えられているのを知り、春にもう一度来ようと決めていた。残念ながらソメイヨシノは開花したばかりだったが、早咲き品種らしき2、3本は満開で、平日ながら数グループの花見客でにぎわっていた。 和水町は、放映中の大河ドラマの主役、金栗四三の出...

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発掘調査が続く潮見櫓跡、復元はいつになる?

 福岡城址の潮見櫓跡で発掘調査が行われている。私が気付いたのはつい最近だが、現地の立て看板によると、調査は昨年8月に始まったとのことで、終了期日については「未定」と結構衝撃的なことが書かれていた。何が衝撃なのかと言えば、福岡市が2014年6月に策定した『福岡城跡整備基本計画』の中で、潮見櫓は2014年度から18年度までの5年間で復元されることになっていたからだ。つまり今年3月までに復元工事が完成していなけれ...

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日拝塚古墳出土の金製耳飾り

 福岡県春日市の日拝塚古墳で1929年(昭和4)に起きた盗掘事件を以前取り上げたことがある(「日拝塚古墳盗掘事件」)。この事件で2,000点を超える副葬品が同古墳に眠っていたことが明らかになり、これらは全て帝室博物館(現在の国立博物館)に召し上げられたが、なぜか金製の耳飾り1点だけが地元の「奴国の丘歴史資料館」に展示されている。「(伝)日拝塚古墳」の但し書き付きで。なぜ「伝」なのかと言えば、この耳飾りは国...

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