旧聞since2009

宗甫の皇太神社

 印西市宗甫(そうほ)に、小ぢんまりとした皇太神社がある。千葉ニュータウン(住宅地)の外れにあり、近くには竹林、隣は保育園、道を挟んだ向かい側に牧の原公園がある。  敷地は約300坪。鳥居は真新しい。『宗甫皇太神宮記念碑 鳥居建立寄進者御芳名』として14人の名前が記されており、平成二十八年(2016年)建立したとあった。社の左手には庚申塔など10基が並んでいた。 宗甫は江戸時代、「惣深の陣屋に伺候していた漢...

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早春の印旛沼公園

 3月31日、印西市師戸(もろと)の県立印旛沼公園に行ってきた。印旛沼に面してある。230本あるソメイヨシノやヤエザクラがあるが、ソメイヨシノは散り初め。予想外に早いと感じた。  歩き回っていたら「師戸城跡模式図」があった。読んでみると、印旛沼の対岸にある臼井城の支城のひとつで、14世紀に築かれたとみられる。現存する形になったのは16世紀の中頃と推定されるという。1590年(天正18年)、豊臣氏による下総攻略で、...

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もう一度行った大師堂

 もう一度、丸山観音堂(印西市草深)へ行った。図書館で調べていると、丸山観音堂の横に大師堂があり、89体の大師像が奉っているらしい。「あれが大師堂だったか」。歩いてそこに向かった。 石段を上がってみると、大師堂はあった。カギがかかっている。のぞいてみると、大師像は整然と並んでいた。3段あり、約15センチはあっただろうか。大師堂の中は薄暗いままだったが、スマホのレンズはすぐれものだった。 1860年代、備後...

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丸山観音堂と草深稲荷神社

 印西市を歩き回っている。旧・草深小(そうふけふれあいの里)に隣接したところに丸山観音堂(1枚目)がある。1778年(安永7年)、香取信賢によって創建された。この観音堂には1803年(享和3年)、俳句52句が納められた「雑俳額」が奉納されている。境内では、香取利彰が1823年(文政6年)に建てた「草深野鹿の碑」(2枚目の左端)があり、利彰の師、富小路貞直の短歌「草ふかき……」などが刻まれている。 実は、千葉県公式...

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北総鉄道の沿線にあった市川歴史・考古博物館

 市川市堀之内の市川歴史・考古博物館に行ってきた。ネットで北総鉄道の観光案内を見ていたら、北国分にある。北国分からは歩いて数分かからない距離と聞いて、それでは行ってみようとなった。 歩いて10分のところに歴史博物館にはあった。設立趣旨に「首都東京に隣接する地域として近年急激な都市化が進み、昔の人々の生活を理解していくために必要な多くの資料が消失しつつあります」とあった。30年近く前、市川に住んでいたこ...

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行基が建てた?松虫寺

 千葉県印西市松虫の松虫寺に行って来た。松虫寺は745年(天平17年)創建。日本の僧、行基が立てたと言われる。 松虫寺の謂れは、聖武天皇の皇女松虫姫が不治の病にかかり、東国に行って祈れば、願いは叶うと言い伝えによる。行基はお付きとして従い、寺を建立した。聖武天皇は松虫寺と名付けさせたという。 「不治の病」が何なのか。『印旛郡誌』によると、「癩を病みてここに棄てらる。自らかなしみ此薬師仏を祈りて癒事を得...

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印西市にあった宗像神社

 千葉県印西市を歩き回っていると、宗像方面に向かうバスに巡り合う。まさか福岡県宗像市や宗像大社に関連はないだろうと思い、ネット検索で「印西市 宗像」を調べてみた。山ほど出てきた。宗像大社に関連がある。最寄りの印西市船尾に宗像神社があったので、行って来た。 周囲を見ていると、鳥居はない。「鳥居を建てると洪水になる」との言い伝えによるものだった。こじんまりとした神社だったが、にもかかわらず境内社の3社...

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聖福寺に伝わる「伝」頼朝像の模写

 先日、山川出版から出されている高校日本史の教科書『詳説日本史』(2010年改訂版)をめくってみた。私たち中高年が源頼朝の肖像画だと習ってきた京都・神護寺所蔵の絵画(国宝)を巡り、足利尊氏の弟、直義を描いたものだとの新説が出され、論争が続いている。教科書はどう扱っているのだろうと、ふと疑問を覚えたのだ。ところが、問題の肖像画は掲載されていなかった。それどころか、登場する歴史上の人物の肖像画自体がほとん...

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黒門の馬頭観音と愛宕の馬市

  福岡市中央区黒門は、藩政時代にあった実在の門から名付けられた地名で、1963年に行われた町界町名整理により、新大工町、西唐人町、大濠町の3町を統合して誕生した。ただ、少し不思議なのは、黒門があったのは明治通りを挟んだ現在の荒戸3丁目、数年前まで『黒門飴』の板谷商店があった辺りで、近接してはいるものの、全く別の町に黒門の名を付けたことになる。黒門は幕末、暗殺予告の斬奸状が張り出されていた場所で、この...

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白昼暴れる北崎の幽霊

 福岡市西区北崎にちょっと変わった幽霊話が伝わっている。戦前に出版された『伝説の糸島』(鷹野斜風、糸島新聞社、1933)で読み、笑ってしまった。恨みを抱えて死んだ老婆が凶悪な幽霊となり、住民らに復讐する話。こう書くと、笑える要素はないようだが、老婆の幽霊が出てくるのは、なぜか白昼で、しかも復讐と言っても誰かを取り殺すわけではなく、ひたすら大暴れするだけなのだ。(北崎は1961年に福岡市に編入されるまでは、...

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猿田彦神社でコロナ退散祈願

 仕事帰りに寄り道をして福岡市早良区藤崎にある猿田彦神社に参拝してきた。新型コロナの感染拡大で緊急事態宣言が出されている中だけに、「何をのんきに!」と非難されるかもしれないが、コロナ退散を祈願してきたのだ。この神社で、庚申の日に授与される猿面は「災いが去る」と言われる縁起物だが、疱瘡(天然痘)除けの民間信仰が起源との話もある。こじつけは承知だが、コロナは新たな災いであり、天然痘と同じウイルス感染症...

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二つの稲荷神社、松山神社と杉山神社

 福岡市早良区西新2丁目に、似た名前の神社がある。松山神社と杉山神社。二つの神社の存在を知った時、なぜ同じ町内に同名の神社があるのだろうと不思議に思ったが、よく見たら一字違っていた。両神社とも小さな稲荷神社で、特に松山神社の方は鳥居と小さな祠があるだけのささやかな社だが、規模に似合わない大きな看板が掲げられ、「九州で一番古い稲荷神社」を名乗っている。元寇関係の文献に同神社の名前が出てくるというのが...

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藤崎の旧名は「富士見崎」?

 福岡県糸島市にある可也山は、円錐形の姿をした美しい山で、糸島富士、筑紫富士などの異名もある。独立峰のため、写真では結構な高さに見えるが、実際の標高は365㍍。本家の10分の1程度だ。山容は、東側の福岡市方面から見た方が美しいとも言われ、福岡市西区には富士見という町がある。現在は「富士見」と付く地名は市内に他にないが、早良区藤崎が昔、富士見崎と呼ばれていたとも言われる。本当なのだろうか? 情報元は、福...

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ヒルコと恵比寿さんが同一だったとは

 以前、福岡市博多区麦野を通った際、「稚児恵比須神」という小さな神社を見掛け、参拝してきた。境内にあった「稚児えびす神の由来」に面白いことが書かれていた。「蛭児尊は恵比須神の前の御名で伊弉諾尊の第一の御子として、七福神の内の御一人であり、幼児の守護神として…」。詳しい人にとっては常識なのかもしれないが、蛭児(ヒルコ。蛭子とも書く)が恵比寿さんと同一の存在として扱われていることを恥ずかしながら初めて...

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謎だった浮羽稲荷神社の来歴

 農産物直売所巡りのため結構頻繁に通っている福岡県うきは市に、浮羽稲荷という神社がある。直売所巡りのメインルートとなっている国道210号線から少し南側に入った耳納山地東端の山腹にあり、普段は無人の小さな神社だが、石段沿いに連なる93基もの赤い鳥居が壮観だ。最近は、例によって「SNS映えする」と人気らしく、先日、何年振りかで長い石段を登ったところ、写真撮影に忙しい若者たちを複数見かけた。以前はなかった光景だ...

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明治25年の山本與志介暗殺事件

 福岡市が戦前の1939年(昭和14年)に発行した『福岡市市制施行五十年史』重要年表の明治25年(1892年)12月の欄に、次の一文があった。 山本與志介暗殺さる(廿七日) 山本與志介とは何者かというと、実はこのブログでも以前、名前だけは取り上げたことがある。『五十年史』掲載の写真に、「神吉某」なる匿名同然の人物が写っていたことを題材に約1年前、「明治23年の集合写真、神吉某の正体は」という記事を書いたのだが、この...

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半世紀前、ブルーギルを自ら放流した福岡県

 ちょうど半世紀前の新聞を読んでいて、興味深い記事を見つけた。1969年1月12日の読売新聞福岡県版の記事なのだが、その見出しを紹介すると、「太公望にうれしいプラン」「ブルーギル(北米産淡水魚)を放流」「県がワカサギに代えて」。見出しだけで記事の中身が概ね分かるが、福岡県水産課が1969年度から、県内のダムや河川にブルーギルを放流することを計画し、稚魚を購入するため70万円の予算を組んだという内容だ。実際に放...

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