旧聞since2009

20歳には見えない

 反り繰り返ったサングラスの男は、マルヨ無線事件(川端町事件)の主犯格・尾田信夫死刑囚だ。1966年(昭和41年)12月28日の読売新聞から。逃走先の東京で逮捕され、博多駅に護送されてきた時の写真で、(到底そうは見えないが)当時20歳。読売新聞は「帰省客でごった返す博多駅に着いた尾田は悪びれたふうもなく、報道陣のフラッシュに、胸をはって英雄気どり」と伝えている。 マルヨ無線事件とは同年12月5日夜、福岡市下川端...

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日本最古の戦死者が眠る新町支石墓群

 麦秋の糸島半島を歩いて新町支石墓群を見学してきた。弥生時代が始まった頃(約2,300年前)の人骨が見つかったことで有名な遺跡で、2000年に国史跡に指定されている。支石墓とは朝鮮半島から伝わったとされる墓制だが、ここに埋葬されていたのは渡来系の弥生人ではなく、低顔・低身長の縄文系の特徴を持つ人々だった。昨年書いた「糸島の支石墓群を歩く」の中で、「縄文人が稲作を学ぶために半島に渡り、墓制も持ち帰ってきた」...

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市役所のお方の不祥事

 福岡市職員の飲酒絡みの不祥事がまたも表ざたになった。市住宅供給公社に派遣されている職員が平日昼間から飲食店で泥酔した挙げ句、電話で取引先の会長に暴言を吐いたのだという。「体調不良」とウソをついて早退、業者と飲んだくれていたらしい。公務員として悪質極まりないが、刑事事件ではないので新聞各紙は匿名報道だった。しかし、一部ネットメディアが実名を出していたので、検索してみた。この職員、2年前には女性相手...

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中山平次郎と今山遺跡

 福岡市西区の今山に登ってきた。玄武岩からなる標高80㍍程の小さな山で、山頂付近には江戸・享保年間に創建されたと伝えられる熊野神社があり、麓から長い石段が通じている。本殿の先には東西2か所の展望台があり、東からは今津湾、西からは糸島平野が望める。この山は弥生時代前期後半から中期(約2000~1900年前)、北部九州一円に流通していた太型蛤刃石斧(ふとがたはまぐりばせきふ)の製作地でもあり、山全域が国史跡に指...

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五郎山古墳の壁画

 福岡県筑紫野市にある五郎山古墳の石室を飾る壁画は、相当派手なものだったようだ。現在は色あせ、うっすらと見えるだけらしいが、麓の五郎山古墳館に実物大模型があり、往時をしのぶことができる。暗くて低くて狭い羨道まで精巧に再現されており、懐中電灯を片手に盗掘者気分を味わうことさえ可能だ。 壁画は、石室の奥壁に黒、赤、緑の3色で所狭しと描かれている。題材は、馬に乗って矢を射る人物や祈りを捧げる女性、船、靱...

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戦いに敗れたムラ

 福岡県筑紫野市にあった隈・西小田遺跡、永岡遺跡は考古学者から「戦いに敗れたムラ」と呼ばれている。いずれも弥生時代中期前半ごろ(約2000年前)の墓地遺跡。隈・西小田からは429体、永岡からは53体の人骨が出土しているのだが、青銅器の切っ先が突き刺さっていたり、頭を割られていたり、首がなかったり、あるいは首だけだったりと、無残な“戦死者”がとにかく多いのだ。当時の北部九州は、稲作社会の進展とともに土地争い、...

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大休と飢人地蔵

 前回に続いて江戸時代の儒学者、貝原益軒が著した福岡藩の地誌『筑前国続風土記』について取り上げたい。益軒はこの書の中で、福岡藩領の中でも特に眺望抜群の場所として那珂郡大休(おおやすみ)という場所を紹介している。木こりたちが荷物を下ろして一休みすることにちなんだ地名だそうで、現在の福岡市中央区南公園に当たる。動植物園などがある一帯だ。 益軒は「天下に名高き」須磨や明石、天橋立、厳島などの絶景も大休に...

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筑前国続風土記が面白い

 前回取り上げた丸隈山古墳について調べる中で、福岡藩の儒学者・貝原益軒(1630~1714)が著した『筑前国続風土記』を一部参考にした。益軒が晩年、福岡藩領内をくまなく歩いて書き上げた地誌で、活字本を図書館でパラパラめくっただけなのだが、これが意外に面白かった。福岡、博多の町や郡ごとに地勢、産業、地名の由来、歴史、言い伝えなどがコンパクトにまとめられている。福岡の古い物事を調べるにはまたとない本のようだ。...

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扉越しに見学できる丸隈山古墳の石室

 福岡市西区周船寺にある丸隈山古墳の石室を見てきた。古墳時代中期、5世紀前半に築造された前方後円墳で、墳丘全長は福岡市内では最大規模の85㍍。平地に盛り土をしたのではなく、高祖山(416㍍)から延びる丘陵部を削って築造された古墳だ。墳丘上は広場になっており、後円部の中央に当たる場所に、百済の影響が色濃いと評される横穴式石室が残されている。石室の入り口は鉄製の扉で閉ざされてはいるが、隙間越しに石棺が置か...

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サザエさん通り

 日本で2番目の「サザエさん通り」が福岡市早良区に誕生するらしい。別に新しい道路が開通するわけではない。明治通りの脇山口交差点から西新通り、よかトピア通りを経由して福岡タワーに至る道筋に区が愛称を付けるのだという。 原作者の長谷川町子さんは戦時中の一時期、疎開でこの付近に住んでいたことがあり、『サザエさん』のアイデアを思い付いたのは百道の海岸を散歩中だったことは良く知られている。西新通りとよかトピ...

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下之橋御門公開

 福岡城の下之橋御門が3、4日の2日間、午前10時から午後3時まで一般公開されている。普段から自由に通り抜け可能だが、この2日間に限っては2階部分に上がることができる。2階には板の間が2部屋と廊下があり、想像以上に広かった。配布資料によると、2階部分の幅は12m弱(資料の記述は6尺5寸×6)、奥行きが6m弱(同6尺5寸×3)なので、広さ約70平方mといったところ。風呂やトイレ、キッチンがあれば、十分生活できそうだ。 福岡城...

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