2012/11/30 昭和の昔話 ヒッピーとコンクリート船 宮崎市赤江にタンポリという入り江がある。宮崎空港のちょうど裏側で、下の地図では宮崎マリーナがあるところだ。地図を拡大するとわかるが、正式名は津屋原沼。戦前、軍が赤江飛行場(現・宮崎空港)を建設する際に大量の土砂を採取、その跡地に海水が入り込んで出来たものだという。この周辺には戦時中の掩体壕(飛行機を空襲から守るための施設)が複数残っているらしいが、このタンポリも一種の戦争遺跡と言えるだろう。 現... 続きを読む
2012/11/25 経済&観光 リアルすぎた案山子 道の駅原鶴(福岡県朝倉市杷木)前の歩道に30体以上の案山子がずらりと並んでいた。「バサロかかし祭」という催しで、11月いっぱい展示されるらしい。昔は野鳥から農作物を守るのが案山子の役目だったが、最近は観光振興を狙いとするケースが多いようで、同じようなコンテストや祭りが全国各地で開催されている。 「バサロかかし祭」はあらかじめテーマが決められていたのか、「家族」を表現したものばかりだった。写真は恐らく... 続きを読む
2012/11/23 街や世相 風物詩の青い電飾 福岡市早良区百道浜の福岡タワーに、恒例のイルミネーションが点灯された。タワー側面に輝くのは、高さ108㍍のクリスマスツリー。例年とまったく同じデザインで、正直見飽きた気分もしないではないが、これはこれで福岡の冬の風物詩の一つなので、野暮は言うべきではないのだろう。クリスマス当日の12月25日まで点灯される。 タワーのイルミネーションは「ももち☆ブルーライトクリスマス2012」の一環で、タワー前広場にある木々... 続きを読む
2012/11/16 史跡探訪 西新の防塁を築いたのは? 前回に続いて元寇絡みの話である。福岡市早良区西新に「防塁前」というバス停がある。路面電車が走っていた頃は電停もあった。言うまでもなく元寇防塁にちなんだ名前で、この地では古くからその存在が知られていた。近年も西南学院大の校舎新築の際、土塁を伴った特殊な防塁が新たに出土し、一部が校舎内に移築保存されている(写真)。 元寇防塁は第一次の元寇「文永の役」(1274年)後の1276年(建治2年)、再度の元軍博多上... 続きを読む
2012/11/15 史跡探訪 福教組が歪めた元寇 好天に誘われ、福岡市西区の生の松原海岸を散策し、復元されている元寇防塁の写真を撮ってきた。有名な『蒙古襲来絵詞』に登場するのが、ここ生の松原にあった防塁だ。元寇防塁は、最初の元寇「文永の役」(1274)の後、鎌倉幕府が九州各国に命じて博多湾岸に築かせた防御ライン。2度目の元寇「弘安の役」(1281年)では、朝鮮半島を発した元軍の先陣、東路軍の博多上陸を阻んだ。東路軍はやむなく防塁が築かれていなかった志賀... 続きを読む
2012/11/09 史跡探訪 福岡城の石垣、修復中 福岡城「上之橋御門」跡で今年6月から、石垣の修復工事が進められている。その模様が9日から一般公開された。工事現場の後ろに専用の見学台が設けられたのだ。早速、行って来た。2枚目が見学台から撮影した写真。素人目には普通の土木工事現場と区別はつかないが、滅多に見られない貴重な光景であるのは確かなのだろう。 今回の修復工事は、2005年3月の福岡県西方沖地震などの影響で、本来ならば弓なりに反っているはずの石垣が... 続きを読む
2012/11/01 歴史雑記 「千年家」の古い写真 「千年家」こと福岡県新宮町にある国重要文化財「横大路家住宅」の修復前の写真(画像を一部修正)が、以前使っていたパソコンに残っていた。横大路家とは17世紀中頃に建てられたとみられる九州最古の民家で、岩手県遠野地方で見られるような曲り屋だ。写真を撮影したのは2000年秋ごろ。この時は横大路家の44代当主ご夫妻がお元気な頃で、撮影の許可を求めたところ、快く応じていただいた。 横大路家住宅があるのは国道3号線か... 続きを読む