2015/02/28 史跡探訪 鴻臚館発掘一段落? 福岡市中央区の平和台球場跡で1988年以来、延々と続いていた鴻臚館跡の発掘調査が一段落し、穴だらけだった調査地点が埋め戻されている。四半世紀にも及んだ大調査もこれで終了かと思ったが、市の計画表を確かめると、7期に分けて行われる調査のうち、ようやく5期が終わっただけだった。今後は舞鶴球技場、続いて移転する福岡地裁・高裁跡地の順で調査が進められる予定で、すべてが終わるのはなんと2027年度。まだ13年も先のこと... 続きを読む
2015/02/25 史跡探訪 30年後の発掘調査報告書 福岡城本丸の北東隅に祈念櫓というちっぽけな櫓が建っている。1918年(大正7年)に崇福寺(福岡藩主黒田家の菩提寺)に払い下げられ、一時は末寺の大正寺(北九州市八幡東区)で観音堂として使われていた。現在ある建物は1983年(昭和58年)に福岡市が買い戻し、本来あった場所に移築復元したものだ。この際に発掘調査が行われ、礎石と建物の主柱との位置が一致せず、大正寺観音堂として使われていた際に大きく改変されたことが... 続きを読む
2015/02/16 経済&観光 城島酒蔵開き 福岡県久留米市城島町で14、15日開かれた第21回「城島酒蔵開き」に行き、“日本酒の新酒”をたらふく試飲してきた。心臓が弱っているうえに血糖値も高く、本当はこんな呑兵衛の祭典に参加できるような状態ではないのだが…。 酒蔵開きには地元の九つの蔵元が参加。メイン会場には40種の新酒が並び、500円でお猪口で6杯まで飲み比べを楽しめた。ただ、お猪口程度では到底満足できない来場者が多かったようで、会場のあちこちでは買... 続きを読む
2015/02/14 歴史雑記 昭和の生き証人だった「さくら寮」 先日書いた「新川緑地帯にあった石碑」の中で、緑地帯から程近い大野城市の住宅街に昔、「さくら荘」という巨大な木造アパートがあったと紹介した。恐らくこの建物に関する記録など何も残っていないだろうと思っていたが、たまたま図書館で手に取った『大野城市巡杖記』(赤司岩雄、2002)にかなり詳細な記述があり、私がとんでもない勘違いをしていたと知った。真っ先に訂正しなければならないのは名前で、「さくら荘」ではなく... 続きを読む
2015/02/11 経済&観光 旧伊藤伝右衛門邸 飯塚市幸袋の旧伊藤伝右衛門邸に11日行ってきた。“筑豊の炭鉱王”と呼ばれた伝右衛門が1897年(明治30年)頃に建造した豪邸で、飯塚市が日鉄鉱業から買い取り、2007年から一般公開している。 入場者数は最近、じり貧気味だったというが、昨年放送されたNHKの朝ドラ『花子とアン』に、伝右衛門やその妻だった柳原白蓮をモデルとした人物が登場したことで、一気に人気がヒートアップ。昨年は、前年の5倍近い24万人が押し寄せ、過去... 続きを読む
2015/02/06 歴史雑記 新川緑地帯にあった石碑 先日、大野城市の「新川緑地帯」を歩いた際(「庚寅銘大刀」)、よくわからない石碑があったので写真に収めてきた。「春日原 停留所 運動場 道」と彫られている。 帰宅してネット検索をしたところ、緑地帯の地元・下筒井公民館のサイトに石碑に関する詳しい説明があった。1924年(大正13年)4月に九州鉄道が開通し、春日原停留所(現在の西鉄春日原駅)が設置されるとともに、駅前には野球場・陸上競技場などが造られた。当... 続きを読む
2015/02/01 歴史雑記 日銀北九州支店、初代支店長は高橋是清 日銀福岡支店の建て替えが発表された。福岡市中央区天神の昭和通り沿いにあり、重厚な外観が街のアクセントともなっていた。今年で築64年。老朽化が建て替えの理由だ。全く縁のない建物だったため「惜しい」という気持ちはなかなか湧かないが、福岡からまた一つ古い建物が消え去っていくのは確かだ。 同支店のウェブサイトによると、開設は1941年(昭和16年)12月1日。全国32支店の中で19番目の開設だというから比較的後発の部... 続きを読む