旧聞since2009

漁業権がない室見川

 福岡市西部を流れる室見川の下流域はいま、シジミ採りをする人で(天気が良い日は)連日にぎわっている。聞くところによると、ここのシジミは結構大ぶりで味も良く、みそ汁にすると美味しいらしい。とは言え、曲がりなりにも150万都市の市街地を流れる河川。「本当に食べても大丈夫か?」と思ったが、市の公表資料によると、今年4月に計測した室見川下流のBOD(生物化学的酸素要求量=水の汚れ具合を示す指標の一つ)は0.9mg/L。...

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高祖山の洞窟

 福岡市西区の叶岳(341㍍)から、同区と糸島市の境にある高祖山(416㍍)まで縦走してきた。最初に麓の今宿野外活動センターから叶岳に登った後、いったん道を引き返し高祖山を目指した。叶岳~高祖山の距離は4㌔強。険しい場所は所々あるが、きちんとした登山道が整備されている。私たちが歩いた日も小学校低学年らしき女児から高齢者まで、多くの人が縦走路をたどっていた。 登山道の周囲は杉木立が続き、それほど変化のある...

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解体進む旧簀子小校舎

 福岡市中央区大手門で、旧・簀子(すのこ)小学校の校舎解体が進んでいる。昨年3月、市中心部の学校統廃合で新・舞鶴小中学校に統合され、102年の歴史に幕を閉じた。跡地のうち、グランドや体育館は舞鶴小中学校の第2運動場や、地域のスポーツ広場、災害時の避難場所として活用されることが決まっており、解体工事が進む横では、学校があった頃と同じように子供たちがスポーツに興じている。何となくシュールな光景だ。 今回の...

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車で行ける古代山城・鞠智城

 熊本県菊池市の道の駅「七城メロンドーム」に遊びに行き、ついでに近くの山鹿市にある国史跡・鞠智城跡に足を延ばしてきた。大野城や基肄城、水城などと同じく、白村江の戦い(663年)で唐・新羅に敗れたヤマト王権が、両国の来襲に備えて築いた朝鮮式山城の一つとされている。熊本県によって史跡公園化が進められており、復元された八角形の「鼓楼(ころう)」(太鼓で時を告げるとともに、見張りのための建物)が一風変わった...

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梅林駅から油山へ

 またまた油山に登ってきた。ただし、いつもは中腹近くにある市民の森まで車で行っているが、たまには麓から山頂を目指そうと思い、福岡市営地下鉄七隈線の梅林駅(城南区)をスタート地点に選んだ。 梅林駅。この駅の1日平均の乗車客は1,251人(2013年度実績)で、福岡市営地下鉄全35駅の中では最も少ない。七隈線は西区橋本から天神南までの12㌔の路線だが、実に16駅がある。駅間距離は平均でたった800㍍。梅林駅も両隣の駅(...

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謎の生き物シイ、正体はハクビシン?

 シイという謎の獣が江戸時代、福岡藩領に生息していたらしい。貝原益軒(写真は菩提寺・福岡市中央区の金龍寺にある益軒像)の『筑前國続風土記』土産考には次のように書かれている。 「狸に似て、夜中に人家に入て牛馬をなやます。牛馬是にあへば病で死す。良狗も取事あたはず。なり物を恐る。人を多かり集、山に入て鐘太鼓を鳴らし、かり出し打殺す。唐の書にも出たり。志摩郡野北、桜井、鞍手郡境村に在て、牛馬を害せしを、...

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唐人町界隈地蔵巡り

 福岡市中央区の唐人町商店街にあるパン屋を気に入り、最近足しげく通っては、ついでに界隈を散策している。商店街のアーケードはかつて、唐津街道が通っていた場所。また、唐人町から今川、地行にかけての一帯は城下の防衛ラインとして築かれた寺町で、歴史や伝説に彩られた地蔵や観音堂が点在する。ヤフオクドームのおひざ元である一方、藩政時代の記憶が今も色濃く残る街だ。  先日は唐人町商店街近くにある成道寺に行き、八...

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菰川の怪

 思わせぶりなタイトルを付けたが、14日に書いた「黒門川の河口はどこ?」の続編である。15日午後、福岡市中央区の菰(こも)川に架かる地行浜橋を歩いていて、橋を境に河口側(写真1枚目)と上流側(2枚目)とでずいぶん流量が違うことに気付いた。ちょうど干潮で水量自体が極端に少なかったのだが、2枚の写真を見比べると、到底同じ川とは思えない程だ。 河口側は地行浜(ヤフオクドームなどがある)埋め立てに伴い造られた新...

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黒門川の河口はどこ?

 福岡市中央区に黒門川という川が流れている。と言っても大半は暗渠になっているため、地上で見られる部分はわずか。黒田長政が福岡城を築城した際、入り江を埋め立て巨大な外堀を造った。外堀が現在の大濠公園。黒門川は築城の際、外堀の排水のために開削された人工の水路だ。 暗渠化されたのは比較的近年のことで、1988年。翌年の89年、埋め立て地のシーサイドももち完成を祝いアジア太平洋博覧会が開かれたが、これに先立ち会...

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基肄城と荒穂神社

 荒穂神社という社が天拝山(福岡県筑紫野市、258㍍)の中腹にある。社殿の背後には「磐座」と呼ぶのか、巨大な岩が鎮座しており、この岩こそが本来の信仰の対象であったろうと想像される。貝原益軒の『筑前國続風土記』(以下、続風土記)には「荒穂大明神社」の名で記載があり、これには「此社は肥前国基肆郡宮の浦村の荒穂明神社を勧請せり」と由来が記されている。祭られているのは五十猛神(イタケル、またはイソタケル)だ...

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基山町の庚申塔

 国特別史跡・基肄城跡を見学するため佐賀県基山町の農村部を歩いた際、庚申塔が道路沿いのあちこちに建っているのが目に付き、写真に収めてきた。庚申塔など、私の生活圏では福岡市早良区藤崎にある猿田彦神社でしか見掛けない。しかも本殿裏にひっそりと建っている。Wikipediaによると、明治新政府は庚申信仰を迷信として庚申塔撤去を進め、高度成長期の道路拡張によっても、さらに撤去や神社等への移転が進んだとある。農村部...

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