旧聞since2009

康永三年銘梵字板碑、または濡衣塚

 福岡市博多区の石堂川河畔に、「康永三年銘梵字板碑」という県指定文化財がある。一般的には「濡衣塚」の名で呼ばれており、濡れ衣という言葉の発祥地などと紹介されることもある。しかし、濡れ衣の由来とされる説話が聖武天皇の時代(在位は724~749年)のものとして伝わっているのに対し、板碑が建てられたのは、銘に従えば、南北朝時代の1344年(康永は北朝の元号)。板碑は建立後、時代を約600年も遡って奈良時代の話と結び...

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今さら宮崎の「貞蔵道路」について

 宮崎市に「貞蔵道路」と呼ばれていた道がある。正式名称は市道大島通線。JR宮崎駅東側の宮脇町から市北部の島之内までの8㌔あまりを結んでいる。貞蔵とは、1982年から94年まで宮崎市長を務めた長友貞蔵氏のことで、大島通線は長友氏在任中の1988年12月に開通した。終点近くにあったのが長友氏の自宅。「自分の通勤専用道路を造った」と一部市民に反感を持たれたのが貞蔵道路の名の由来で、愛称と言うよりは、長友氏への非難、批...

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壮観だった「糸島のひなまつり」

 糸島市の農産物直売所で買い物をした帰り、直売所近くにある志摩歴史資料館に数年ぶりに立ち寄ってきた。開催中だった企画展は「糸島のひなまつり2018」。多数のひな人形を展示するだけの催しだ。生まれ育った家庭も、現在の家庭も、ひな祭りとは全く無縁の家族構成だったため、世の中に数ある「祭り」の中で最も関心がない。正直、家族と合わせ2人分の入館料420円を支払ってしまったことを後悔したが、それこそ後の祭りなので...

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消える久保猪之吉の旧邸跡

 福岡市中央区の赤坂門にあった久保猪之吉の旧邸跡が取り壊されている。久保猪之吉とは、1907年(明治40)から35年(昭和10)にかけて九州帝国大学医学部耳鼻咽喉科の教授を務め、文化人としても著名だった人物。当時の久保邸には柳原白蓮らの文化人が集い、福岡の文化サロン的な存在だったという。この当時の住宅が残っていたわけではないが、オフィス街のど真ん中にありながら、敷地内には木々が鬱蒼と茂り、私にとっては長く“...

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曳家で近代建築を移設

 宮崎市の中心部で今月10日まで、推定で総重量3,000㌧もの近代建築を曳家で移設する工事が行われていた。予定より約1か月半遅れたものの、無事70㍍の移動が終わり、今後、基礎工事が進められるという。たまたま宮崎に行く用事があったため、10日、現場を見てきた。あいにく移動は終わった後だったが、ジャッキで浮いた状態の近代建築という滅多に見られないものを目にすることができた。 この建物は宮崎県庁舎5号館(宮崎市橘通...

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昔、大濠公園の水がぜんぶ抜かれた

 テレビ東京系で不定期に放送されている『池の水をぜんぶ抜く』という番組を先日見ていて、福岡市中央区の大濠公園でも以前、池の水が全て抜かれたことがあったと思い出した。ただし、非常に漠然とした記憶で、いつ頃の話だったかも覚えていなかったので、経緯などを調べてみた。30年前の1988年、大掛かりな水質浄化工事が福岡県によって行われ、その一環として水抜きされたとわかった。広さ21㌶、水量35万㌧もの巨大池が一時、完...

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なぜ「当仁」小学校

 福岡市中央区唐人町3に当仁(とうにん)小学校という学校がある。小学校名には普通、地名を使いそうなものだが、この当仁とは『論語』にある「當仁不譲於師」(仁に当たりては師といえども譲らず)という言葉に由来するという。しかし、なぜ、わざわざ論語の一節を学校名にする必要があったのだろうか。1982年に発行された当仁小の『創立90周年記念誌』をめくっても、それらしき理由は書かれていなかったが、他資料を当たると、...

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