旧聞since2009

復旧が進まない日田彦山線

 先日、福岡県添田町にある道の駅「歓遊舎ひこさん」に向け、JR日田彦山線沿いの道を車で走っていた際、添田駅付近で、国鉄カラーの列車が停まっているのを目撃した。帰路に車窓から写真を撮ってきたが、方向幕には「団体」と表示されており、臨時列車のようだった。帰宅後に調べてみると、昨年7月の九州北部豪雨で被災し、添田~夜明間29㌔が今も不通となっている同線支援のため、小倉~西添田間で企画されたツアー列車で、私が...

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戦時下のミッションスクール撲滅運動

 戦時下の福岡県で、不愉快極まりない運動が行われていたことが、県教委発行の『福岡県教育百年史』(1981)に記されている。戦前、戦中の「キリスト教系学校への弾圧」について紹介した一文で、「キリスト教国である米英等と深い関係があり、平和と人類愛を目標とするキリスト教系の学校に対しては特に非難、圧迫が次第に強く加えられるようになった。(中略)ある種の学校については、事実上学校経営が不可能になるような条件の...

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悲惨というより壮絶だった戦後開拓

 古い新聞の切り抜きに、目を引く記事があった。福岡県内の山間部にある某戦後開拓地の一つを取り上げた1965年1月11日の読売新聞朝刊地方版の記事で、「また一人さびしく下山」「15年、ついに報われず」「春のない辺地」などの見出しの下、過酷な環境で経済的にも厳しい生活を送る入植者を救うため、地元の市役所が下山を勧めていることが書かれていた。記事によると、この開拓地は1951年に開かれ、入植者たちは山を切り開いて畑...

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福岡城多聞櫓、鶴城高女についての追記

 福岡城内に築城当時から残る多聞櫓(写真)が戦後の一時期、西日本短大の前身に当たる学校に学生寮として使用されていたことを昨年8月、「多聞櫓は戦後の一時期、学生寮だった」で紹介した。城の建物が学生寮となるなど珍しいと思ったが、いかにも戦後の混乱期らしい話でもあったようだ。 西日本短大の前身に当たる学校とは、困窮していた戦災者、引き揚げ者らの子弟の教育のため1948年12月に創設された大憲塾。創立者は江口繁...

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