旧聞since2009

弁当代わりに遠足に持って行ったハンバーガー

 数年前、40数年ぶりに福岡市博多区竹下の街を歩いた際、ここに暮らしていた時代に時折通っていたパン屋を探してみたことがある。街並みは全体としては意外なほど変わっていなかったのだが、残念ながらパン屋があった付近は様変わりし、懐かしの店に再会とはいかなかった。店名までは覚えていなかったので、この時に古い住宅地図をめくって確かめたのだが、地域名をストレートに冠した「竹下パン」だった。この街には現在も似た名...

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路面電車を福岡市によこせ

 福岡市内を走っていた西鉄の路面電車(福岡市内線)が1979年2月に全廃されてから、今年でちょうど40年になる。この機会に西鉄路面電車の歴史を調べていたところ、興味深い出来事があったのを知った。廃止の10年ほど前、福岡市が西鉄に対して「路面電車の経営権をよこせ」と要求したことがあったのだ。当然ながら西鉄は強く拒否。蜜月と言われる現在とは違い、両者は厳しく対立していた。 民間企業に資産をよこせとはずいぶん横...

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子供の頃、チクロを飲んでいた

 ちょうど半世紀前のことだ。1969年、チクロという人工甘味料に発癌性があると疑われ、使用禁止を巡って大騒動になった。当時の私は小学校低学年で、本来だったらこういった社会問題を覚えているはずもないのだが、チクロは事情が違った。砂糖の安い代用品として駄菓子や粉末ジュースなどに使われていたため、チクロ追放は、私たち貧しい子供たちを直撃したのだ。 何よりこの騒動が始まって以降、不愉快な目にしばしば遭うように...

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もう一つあった浪人身代わり物語

 以前、福岡市中央区唐人町の成道寺境内にある八兵衛地蔵の由来について紹介したことがある。元禄時代、唐人町と須崎町の火消しが乱闘になり、須崎町側に死者が出た。役所から下手人を差し出せと厳しく迫られ、唐人町の関係者が苦悩していたところ、この町に住んでいた肥後浪人の森八兵衛が「町の皆さんに世話になったお礼に、独り身の私が罪を背負いましょう」と自ら身代わりになり、死罪となった。深く感謝した町の人々は八兵衛...

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明治23年の集合写真、神吉某の正体は

 上の集合写真は、1939年(昭和14)発行の『福岡市市制施行五十年史』に掲載されていたもので、写真説明には「明治23年夏、処は東中洲の一角、福岡くらぶ(市内最初の赤煉瓦洋館)を背景とした名士』と記されている。前列右から6人目は初代福岡市長の山中立木、後列右から4人目が第2代市長の磯野七平。私が辛うじて名前を知っていた人物は、この二人だけだったが、残るメンバーも、福岡最初の銀行・第十七銀行、電力会社の九州...

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