旧聞since2009

1973年に建てられた開拓記念之碑

 草深稲荷神社(印西市草深)から西へ5分程のところに原青年館があり、『開発記念之碑』がある。千葉ニュータウンの造成に伴うもので、船穂開拓農業協同組合によって1973年2月に建てられた。1945年、印旛飛行場跡地の開拓から28年。船穂開拓農協の組合員約90人にはどのような思いでいただろうか。  1945年11月、緊急開拓事業実施要領に閣議決定され、時を同じくして印旛飛行場跡地に開拓の槌音が響いた。終戦直後の食糧難の時...

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もう一度行った大師堂

 もう一度、丸山観音堂(印西市草深)へ行った。図書館で調べていると、丸山観音堂の横に大師堂があり、89体の大師像が奉っているらしい。「あれが大師堂だったか」。歩いてそこに向かった。 石段を上がってみると、大師堂はあった。カギがかかっている。のぞいてみると、大師像は整然と並んでいた。3段あり、約15センチはあっただろうか。大師堂の中は薄暗いままだったが、スマホのレンズはすぐれものだった。 1860年代、備後...

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丸山観音堂と草深稲荷神社

 印西市を歩き回っている。旧・草深小(そうふけふれあいの里)に隣接したところに丸山観音堂(1枚目)がある。1778年(安永7年)、香取信賢によって創建された。この観音堂には1803年(享和3年)、俳句52句が納められた「雑俳額」が奉納されている。境内では、香取利彰が1823年(文政6年)に建てた「草深野鹿の碑」(2枚目の左端)があり、利彰の師、富小路貞直の短歌「草ふかき……」などが刻まれている。 実は、千葉県公式...

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野菊の墓文学碑

 中学生の頃、『野菊の墓』(伊藤左千夫)を読んだことある。政夫と民子のはかない恋、民子の悲劇的な結末……。同世代の若者が深く思いあっていると知り、感動した。この時、私小説を知った。思いのほか近くに野菊の墓文学碑があると聞き、出かけた。 松戸市下矢切、西蓮寺裏の境内にあり、「僕の家といふは、矢切の渡しを東へと渡り、小高い岡でやはり矢切村と云っている所」という書き出しで始まる。碑には「昭和三十九年十月」...

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2014年に消えた草深原

 印西市に民話がある。その一つに「草深原(そうふけっぱら)の狐」があり、菓子屋が狐に化かされる話で、印西牧の原駅の南北両口に掲示してある。昔のことと勘違いしていたが、草深原をネットで見つけた。ジョイフル本田(複合スーパー)の北側のあたりで、UR千葉ニュータウン(県有地)が2014年建設、業者が住宅地を建設した。つまり草深原は9年前に消えたのだ。 学術的な貴重な自然環境であったようだ。毎日新聞によると、「...

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北総鉄道の沿線にあった市川歴史・考古博物館

 市川市堀之内の市川歴史・考古博物館に行ってきた。ネットで北総鉄道の観光案内を見ていたら、北国分にある。北国分からは歩いて数分かからない距離と聞いて、それでは行ってみようとなった。 歩いて10分のところに歴史博物館にはあった。設立趣旨に「首都東京に隣接する地域として近年急激な都市化が進み、昔の人々の生活を理解していくために必要な多くの資料が消失しつつあります」とあった。30年近く前、市川に住んでいたこ...

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