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福岡城に模擬天守はいらない

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 先日、福岡城の天守台に十何年振りかで登ってきた。ここからは福岡市街が360度見渡せる。高層建築がなかった江戸時代の眺望は、さらに抜群だったことだろう。この天守台上に天守建築が建っていたのか否か。存否論争は決着がついていないが、素朴な感想を書かせてもらえば、これだけ見晴らしが良ければ、別に大規模な天守など必要なかったのではないかと思う。

 存否論争を簡単に振り返ると、福岡城にはもともと天守は建設されなかったというのが近年までの定説だった。江戸初期の1646年に作成された「福博惣絵図」に天守が描かれていなかったことなどが主な理由だ。ところが、隣国小倉藩を治めていた細川家の書状など、城の創建当初に天守が存在したことをうかがわせる新史料が出てきた。最近では建設から十数年後に解体され、建材は大坂城の再建に活用されたという説も出されている。

 こういった状況に、福岡城の「天守復元」を訴える一部団体が勢いを得ているようだが、彼らが何を求めてこのような運動を展開しているのか、正直なところ謎だ。「復元」と言っているが、復元とは元の姿に戻すことで、存否さえはっきりしない福岡城天守に使える言葉ではない。団体が行っているのは「模擬天守」建設運動と呼ぶのが正確だろう。模擬天守とは史実に基づかない天守風の建物のことで、はっきり言えば、まがい物だ。唐津城や中津城の建物がこれに当たる。

 福岡城跡は国の史跡に指定され、さらに城跡内にある古代の迎賓館と呼ばれる鴻臚館跡も国史跡に指定されている。つまり二重の国史跡なのだ。こんな場所に模擬天守建設を文化庁が認めるはずがないことは、福岡市教委も以前から指摘しており、団体のメンバーもそれは分かっているはずなのだ。この団体を率いる著名な元財界人は「福岡市民誰もが誇れる場をつくりたい」と運動の目的を語っているようだが、まがい物の天守が果たして市民の誇りになり得るのだろうか。


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