2010/04/14
福岡城跡でまた不審火
福岡城跡にある福岡市指定文化財「名島門」(写真)で14日、ボヤ騒ぎがあった。幸い門扉の一部を焦がしただけで終わったが、福岡城跡では2000年にも下之橋御門が半焼する不審火が起きており、市の文化財担当者らはヒヤリとしたことだろう。2000年の火災もそうだったが、今回も放火とみられている。愉快犯か何か知らないが、文化財とわかって火を付けるのだから、始末に負えない。下之橋御門の復元には、実に3億円が投じられている。
下の写真はボヤがあった名島門の門扉と復元された下之橋御門。名島門の下のコンクリートに、焼け焦げた跡が残っている。写真ではわかりにくいが、門の先には市立中学校がある。朝夕には、中学生たちが門をくぐって登下校する姿が見られる。風景的にも非常に優れた場所だけに、大事に至らず良かったと言う以外にない。
名島門の名前は、もともと名島城の門であったことにちなむ。名島城とは、現在の福岡市東区にあった城で、1588年には小早川隆景が改築し、筑前支配の本拠とした。関が原戦後、この地を治めた黒田氏によって取り壊され、資材は福岡城に再利用されたらしいが、この門だけは家臣に下げ渡され、邸宅の門としてそのまま残った。名島城の構造物は、ほかにほとんど残っていないだけに、極めて貴重な遺構であり、歴史的意味合いを考えれば、もっと上のランクの文化財でも構わないぐらいだ。
小早川隆景は、毛利元就の三男であり、あの「三本の矢」の逸話にも登場する人物。名将、知将と歴史上の評価はめっぽう高いが、筑前を治めたのが晩年の短い期間で 、関が原戦後には小早川氏自体が岡山に転封されたこともあり、福岡では一般的に「郷土の偉人」的な扱いは受けていない。やはり中国地方の武将というイメージが強い。また、隆景の養子・秀秋が関ヶ原の裏切りで有名であり、この点も福岡で小早川の影が薄いことに影響しているのだろうか。
名島城跡については、福岡市がこの場所に展望台の建設を計画したことで、地元住民や郷土史家らが「歴史的景観を台無しにする」とかみつき、ちょっとした論争が起きた。これを機会に、筑前時代の小早川氏にもっとスポットが当たれば、面白いと思う。難を逃れた名島門の価値も、ますます上がることだろう。
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