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「九州最後のクマ」誰が放した?

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 「九州最後のツキノワグマ」は1987年11月、大分県緒方町(現在の豊後大野市)の祖母・傾山系の笠松山で射殺された1頭だと言われてきた。しかし、森林総合研究所が昨年秋に公表した遺伝子解析の結果によると、このクマは本州産、またはその子孫である可能性が高いらしい。

 笠松山で射殺されたのは4歳オス。野生ではなく、飼育施設などから逃げ出したのではないかと疑う声は当時からあった。研究所の公表資料によると、国内に生息するクマは琵琶湖を境に東西で遺伝子タイプが分かれ、両者の間では6万年前から遺伝子交流(繁殖)が行われた形跡がないという。なのに笠松山のクマの遺伝子型は明らかに東日本の型、もっと細かく言えば、福井・岐阜に生息する型に属していた。「福井・岐阜で捕獲され、九州に持ち込まれた」というのが研究所の結論だ。

 ということは、クマを放した、または逃げられたまま黙っている人物が確実にいることになる。ミドリガメではあるまいし、「飼うのが面倒になった」とクマを捨てる人がいるとは考えにくいが、福岡では以前、田んぼでワニが捕獲されたことがあった。北九州の貯水池では凶暴な大型魚の目撃談がある。中にはとんでもない御仁がいるのかもしれない。“容疑者”は進んで白状しないだろうから、真相が明らかになることは恐らくないだろうが…。

 大分県は2001年5月発表のレッドデータブックで、祖母・傾山系のツキノワグマ絶滅を公式に宣言したが、同山系では依然として目撃談が相次いでいる。クマの研究者らでつくる日本クマネットワークは、この秋に登山客から寄せられた目撃談について「信憑性は高い」と判断、本格的な生息調査を行うことにしたという。結果が非常に楽しみだが、万が一、今もなお生息しているとしたら、それは1987年のクマのお仲間ではないか。何の裏付けもないが、そんな気がしている。ツキノワグマの写真は動物写真のフリー素材サイト『動物・あ・ら・ら』さんからお借りした。
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