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レンゲ畑の吉武高木遺跡

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 最古の王墓と言われる国史跡・吉武高木遺跡(福岡市西区)の公園化整備が今年度から始まる。1984年の発掘当時「早良王国発見」と騒がれ、1993年には国史跡にも指定された貴重な遺跡だが、現在は写真のようにレンゲ畑状態で、ヒバリがのどかに鳴いている。周囲は柵で囲われ、立ち入り禁止だ。

 福岡市がこの遺跡を公園にすると決めたのは1999年12月で、この時は2007年度の完成を予定していた。計画は遅れに遅れ、決定から13年目での着工となるが、人工島をはじめ様々な懸案を抱える福岡市だ。直接市民生活に関わりない遺跡公園の整備は優先順位が低かったのだろう。これはこれで仕方がない。

 同遺跡は弥生時代前期末から中期初頭(約2200~2100年前)の遺構で、飯盛山(写真正面の山)麓の扇状地にある。「王墓」と言われるのは、一部の墓から多紐細文鏡(たちゅうさいもんきょう)、銅剣、銅矛、多数の勾玉・管玉といった、まるで三種の神器のような豪華な副葬品が出土したためだ。また、隣接する吉武大石遺跡からは、石剣の剣先が体内に刺さったまま埋葬されたと思われる人物の墓が見つかり、こちらは王に仕えた戦士たちの墓とみられている。青銅器は朝鮮半島製で、半島から渡って来た人々が築いたクニとも考えられているようだ。

 この遺跡群は『漢書地理誌』に「分れて百余国と為る」と記された紀元前1世紀ごろの倭国のクニのひとつと推定されている。これは『日本の歴史2 王権誕生』(講談社学術文庫)に書かれていたのだが、福岡をはじめとする弥生時代の北部九州の墓地遺跡には、この吉武大石のように体内に武器が刺さったままだったり、首がなかったりなど無残な遺体が多いらしい。近畿と違い北部九州には耕作可能な土地が少なく、領土を奪い合った戦乱の激しさを物語っているという。

 公園整備は「遺跡を広く市民に公開する」ためで、今年度から3期に分けて、芝生広場・甕棺ロードの整備や弥生時代の風景を再現する地形造成などが進められる。今年度は1期工事として芝生広場が整備され、この部分は先行して来年度には一般公開される。1999年計画で予定された集落復元などは今回の計画には含まれていないようだ。
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