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比恵遺跡群の現地説明会


 那津官家跡とされる福岡市博多区の比恵遺跡(国史跡)の隣で、古墳時代後期(6世紀後半)の大型倉庫跡と見られる掘立柱建物跡が見つかり、21日に現地説明会が開かれた(この調査は比恵遺跡群第126次調査に当たる。比恵遺跡と区別するため説明会が行われた遺跡を便宜的に126次遺跡とする)。比恵遺跡では整然と並んだ10棟の大型倉庫群が確認されているが、今回発見された倉庫跡は建物の向きが異なり、一応別の施設と考えられるという。ただ、比恵遺跡同様、柵列で厳重に囲われており、重要な施設であったのは間違いないようだ。

 126次遺跡の正確な場所は、市道(竹下通り)をはさみ、ちょうど比恵遺跡の向かい側だ。周囲にはマンションや戸建て住宅が並んでいる。この場所もマンション建設予定地で、立体駐車場の設置が予定されていたが、事前の発掘で大型倉庫跡のほか、弥生時代の竪穴住居跡や貯蔵穴、井戸などの遺構が多数確認され、業者側は一帯を埋め戻したうえで保存することに同意したという。平置きの駐車場に計画変更するのだろうか。「弥生銀座」と評されるほど、古代から栄えていた福岡ではこんなことがよくある。いい例が、当の比恵遺跡だ。

 那津官家とは、ヤマト政権が536年、博多湾岸に造った食料備蓄基地で、その設置は『日本書紀』に記録されている。役割は食料備蓄にとどまらず、九州統治の拠点であり、外交・軍事の出先機関であったとも見られている。この日の説明会でも市の担当者は「朝鮮半島をにらんだ前進基地でもあっただろう」と説明していた。

 比恵遺跡の場所にはもともとホテルのテニスコートがあったようで、現在も表札が残っている。この跡地を地場企業が購入し、本社ビルを建てる計画だったが、事前調査で大遺跡が顔を出し、この会社も遺跡保存のため計画を変更した。調査翌年の2001年には国史跡に指定されたことが、遺跡の重要性を物語る。しかし、その後10年以上、遺跡は半ば捨て置かれた状態で、研究者らの評判はすこぶる悪いらしい。

 下の写真が比恵遺跡の現状だが、周囲は金網で囲われ、クローバーが生い茂っていた。ここも史跡公園として市民に開放するのがベターだと思うが、いかんせん福岡市には整備すべき遺跡が多すぎ、財政難の状況ではスムーズに行かないのだろう。1993年に国史跡となった「早良王墓」吉武高木遺跡の整備がようやく今年度から3年計画で始まる(「レンゲ畑の吉武高木遺跡」参照)。比恵遺跡の順番はもう少し先だろう。少なくとも整備計画は一切公表されていない。


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