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五郎山古墳の壁画

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 福岡県筑紫野市にある五郎山古墳の石室を飾る壁画は、相当派手なものだったようだ。現在は色あせ、うっすらと見えるだけらしいが、麓の五郎山古墳館に実物大模型があり、往時をしのぶことができる。暗くて低くて狭い羨道まで精巧に再現されており、懐中電灯を片手に盗掘者気分を味わうことさえ可能だ。

 壁画は、石室の奥壁に黒、赤、緑の3色で所狭しと描かれている。題材は、馬に乗って矢を射る人物や祈りを捧げる女性、船、靱(ゆぎ=矢を入れる筒)などの武具、太陽と見られる同心円、イノシシらしい動物等々。九州の装飾古墳で良く見られる幾何学文様ではなく、いわゆる具象画だ。

 これらの絵画が何を意味しているのか、解き明かすのが研究者の醍醐味だろうと思うが、1947年(昭和22年)の古墳発見時、最初に調査に入った関西の考古学者の発言を読んで吹き出した。「知っている文様を適当に描いたのだろう」。それではまるで落書きである。

 五郎山古墳は直径32㍍のきれいな形の円墳で、石室の構造や須恵器などの出土遺物から6世紀後半の築造とみられている。古墳に葬られているのだから、被葬者は間違いなく当時の権力者だろう。壁画は確かに雑多にも見え、先の考古学者の意見に納得したくもなるが、権力者の墓を落書きで飾るものだろうか。

 現代の考古学者の見立てを紹介しておくと、辰巳和広・同志社大元教授は、壁画は「王の狩猟儀礼」と「他界へと被葬者の霊魂を運ぶ船」を描いたと指摘し、支配の永続と繁栄を願ったと解釈している(2001年の『五郎山古墳展』解説冊子から。執筆当時は助教授)。船が描かれた装飾古墳の壁画としては、他にうきは市の「珍敷塚古墳」の例がある。“落書き説”の考古学者は、船が死者の霊魂を運ぶという考え(「舟葬儀礼」とも言うらしい)に批判的だったらしい。ひょっとしたら五郎山古墳の壁画の意味をことさらに評価したくなかったのだろうか。

 五郎山古墳館の開館時間は午前9時~午後5時。月曜と年末年始休館。入館無料。数日前に事前予約すれば、本当の石室を観察室から見学することも可能らしい。
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