2013/03/21
尾田信夫の行動力
マルヨ無線事件(1966年、福岡市の電器量販店で起きた強盗放火殺人事件)の尾田信夫死刑囚(66)について調べていて、彼が1審判決前に脱走事件を起こしていることを知った。間もなく潜伏先の福岡市内で拘束されたと言え、いったんは自由の身となっている。この時、21歳。以前「20歳には見えない」で、彼の年齢に見合わぬ貫禄について書いたが、大胆な行動力にも驚くほかない。
脱走したのは1968年8月13日夜。場所は福岡拘置支所ではなく、福岡市郊外にある精神科病院。尾田はこの1年前から「精神に異常を来した」として強制入院させられており、公判も停止中だった。同じ病院に入院中だったアルコール依存症患者2人を誘い、2階トイレの窓の鉄格子を調達した金ノコで切断、つなぎ合わせた毛布を伝って病棟から逃れたという。未遂に終わっているが、患者2人には「自動車強盗して大阪に逃れよう」と持ちかけていたらしい。
尾田は福岡市に逃走後、「働かせてくれ」と土木業者を訪ねたが、業者の家族が「脱走犯だ」と気付き通報。脱走から約24時間後の14日夕、作業員用宿舎でくつろいでいる時に身柄を拘束された。逃走劇があっけなく終わり、放心状態だったと当時の新聞は伝えている。
尾田が本当に精神を病んでいたのか、あるいは演技だったのかは私にはわからない。ただ、この脱走事件が裁判官の心証を決定的に悪くしたのではないかと思う。拘束から間もなく福岡地裁で公判が再開され、尾田には4か月後、死刑判決が下っている。最高裁まで争ったが、死刑判決は覆ることなく、70年に刑が確定。以来43年間、確定死刑囚として拘置所暮らしを続けている。
尾田はこれまで6度も再審請求を繰り返しているが、最初の4回は独力での請求だったという。また、昨年4月には刑場写真が載った雑誌閲覧を拘置所が認めなかったのは違法として、国に対し660万円の賠償を求める訴訟を起こしている。凶悪犯の多くは悪い意味で行動力のある人間だろうが、尾田という男のバイタリティーには目を見張るものがある。もちろん、これらの行動の背景にあるのは自身の生に対する執着だとは思うが、月並みな表現ながら、この行動力を犯罪以外に生かしていれば、人生の大半を死刑囚として送ることもなかっただろうにと思う。
写真はかつてマルヨ無線があった博多リバレイン付近。
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