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神格化された『はだしのゲン』


 『はだしのゲン』(以下、ゲンと表記)閲覧制限問題が、東京・練馬区では今月まで尾を引いていたという。学校現場からの撤去を求める区民と、自由な閲覧を主張する区民とがそれぞれ区の教育委員会に陳情書を提出し、委員会はこんな問題の審議に時間を取られていたのだ。結論は両者とも「不採択」。判断は学校現場に委ねるということらしい。常識的な幕引きだと思う。いちいち教育委員会が口出しする問題ではなく、そもそも陳情を出すこと自体がお門違いだろう。

 周知の事実になったが、ゲンを1973年に世に出したのは少年ジャンプだった。その後、何度か掲載誌を変え、最後は日教組の機関誌に収まった。だから昔から日教組の教師たちは激賞し、子供たちに読ませたがっていた。しかし、大人、まして教師が“良書”と薦めるマンガなど、子供にはどこか胡散臭く感じられるものだ。今となっては消された過去だが、昭和時代、ゲンは大人には人気だが、子供が手に取らないマンガとして知られていた。

 年がばれるが(今さらだが)、私はゲン連載当時のジャンプをリアルタイムで読んだ世代だ。同時期にジャンプで連載されていたのは『トイレット博士』『ど根性ガエル』『荒野の少年イサム』『マジンガーZ』『アストロ球団』等々。今でもカルト的人気を誇る作品も多い。私のようなバカな子供の間では、ゲンはジャンプ連載時から不人気だった。私の場合はあの絵が苦手だったのだが、先のラインアップの中で、はっきり言ってマンガとしての面白さで見劣りしていたのだ。

 被爆地の悲劇を真正面から描いたこの作品の価値を、私がまったく理解していなかったのは確かだが、言い訳をさせてもらえば、福岡の子供たちは小学校の修学旅行で被爆地・長崎に行く。別にマンガに頼らなくても、長崎の地で戦争、原爆の悲惨さをリアルに学んでいた。

 1996年に開館した長崎原爆資料館は素晴らしい施設だが、私が修学旅行で行ったのは古ぼけたビルの中にあった旧資料館の方だ。ここの展示内容は陰惨で残酷とも言って良いぐらいで、原爆の恐ろしさをもっとストレートに伝えていた。無脳児の写真などは特に衝撃的で、あれを見て宿の夕食がのどを通らなかった女子も少なくなかった。

 閲覧制限騒動の発端となったのは島根県松江市だが、同市内の大半の小学校にゲンが置かれていたと報道されていた。さぞかし日教組が強い土地柄なのだろうと思ったが、島根県の日教組組織率はゼロに等しいらしい。修学旅行で広島に行くため、その事前学習資料の一つとして多くの学校がそろえていたという。よくよく考えてみれば、日教組の影響力が低い土地だからこそ閲覧制限が始まってから8か月間も公にならなかったのだろう。これが日教組の組織率がいまだに高い大分などで閲覧制限が行われていれば、ただちに彼らが大騒ぎし、この問題はもっと嫌な経過をたどったに違いない。

 今回の閲覧制限騒動によって、この作品は妙に神格化され、戦後マンガ史に残る名作の一つとの評価まで得てしまったように思う。今年は単行本も異様に売れたらしい。ゲン拒否派の排斥運動が、かえってこのマンガへの注目度を高めるという皮肉な結果となったようだ。出版社だけでなく日教組の高笑いまで聞こえてきそうで、何となく嫌な感じだ。
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