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鴻臚館発掘調査

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 上の写真は、福岡市中央区の旧平和台球場跡地で行われていた古代の迎賓館、鴻臚館跡発掘調査の模様だ。昨年11月に撮影した。この付近をよく散策しているが、遺跡は普段、ブルーシートで覆われている。人気がまったくない遺跡はカラスのたまり場となり、耳障りな「カー、カー」という鳴き声だけがこだましているのが日常だ。発掘調査を目にするのは久々だった。

 しかし、考えてみれば、私が一帯を散策しているのは平日の夕方か週末。平日の日中には精力的な調査が続いていたとみられ、2月15日には2013年度の発掘調査説明会が行われていた。残念ながら私は参加できなかったのだが、奈良時代から平安時代の建物跡が新たに確認されたことなどが報告されたようだ。

 1987年の遺跡発見から今年で27年。平和台球場が解体され、本格的な発掘調査が始まった1998年から数えても16年。その歴史的価値は大きいとは言え、吉野ヶ里遺跡のような数十haに及ぶ巨大遺跡ではない。規模はたかだか球場一個分だ。その割にはずいぶんスローペースな調査が続いているが、“弥生銀座”などと呼ばれる福岡特有の事情があるのだろう。

 この街では地面を掘れば、かなりの確率で遺跡が出土する。九州大学移転用地から姿を現した西区の元岡・桑原遺跡群をはじめ、開発を控え、調査時間の限られた遺跡が優先された結果、市有地にある鴻臚館は後回しになってきたのだろう。だが、四半世紀以上かかった発掘調査もようやく2014年度いっぱいで終わるという。調査と平行し、昨年からは鴻臚館の復元整備に関する検討も始まっており、こちらも14年度中に構想をまとめると聞いている。

 鴻臚館があるのは、同じ国史跡の福岡城址。時代も性格も異なる二つの遺跡をどう調和させるのか、整備はかなり難しい問題だと言われているが、個人的には鴻臚館を優先させても良いのではないかと思う。暴論かもしれないが、江戸時代の城など、どこにでもある。それに対し、鴻臚館はもともと現在の京都、大阪、福岡にしかなかった稀少な施設で、しかも遺構は福岡でしか見つかっていないのだ。

 「福岡のシンボルにする」という良く理解できない理由で、存在したかどうかもわからない福岡城天守の建設を主張する市民団体があり、福岡市もなぜかその尻馬に乗り、恐らくはその団体メンバーが作ったと思われる天守想像図を城内に掲示するなどしている。見学者をミスリードする行為だろう。「福岡のシンボル」なるものが本当に必要ならば、発掘調査の結果をもとに、きちんとした復元が可能な鴻臚館の方がよほどふさわしいと思う。下の動画は福岡市制作の鴻臚館CG復元モデル。


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