2014/05/02
国史跡がない北九州市
写真は北九州市八幡東区の河内貯水池に架かる南河内橋。近くにある河内藤園に行った際に撮影してきた。河内貯水池とは八幡製鉄が工業用水確保のために1927年に完成させたダムで、橋はこの1年前の1926年竣工。凸レンズを二つ並べたような外観が特徴的で、「レンティキュラー・トラス」と呼ばれる形式らしい。複雑な形状を見てもわかるように、技術も金も手間も掛かるため欧米では19世紀に滅びた様式で、日本ではわずかに三つが造られただけだという。国内に現存するのはこの南河内橋だけで、世界的にも貴重な存在とあり、2006年には国重文に指定されている。
北九州市内にある国重文はこのほか、門司区の旧門司三井倶楽部とJR門司港駅、戸畑区の旧松本家住宅の三つ。いずれも堂々たるレトロ建築ではあるが、日本の近代化・工業化を支えてきたこの街にしては意外に少ないと思った。八幡製鉄所の工場群などは指定されていないのかと不思議に感じたが、同製鉄所関連施設の中で東田第一高炉跡が市の指定史跡となっていた。この機会に北九州市内の史跡を調べたところ、妙なことに気付いた。北九州市には国指定史跡が存在しないのである。
例えば、福岡市には福岡城跡、鴻臚館跡、板付遺跡、元寇防塁など計12の国史跡がある。古代から大陸との窓口だった福岡市との比較は適当ではないかもしれないが、北九州市に隣接する行橋・京築地域にも御所ヶ谷の神籠石をはじめ10ヶ所以上の国史跡が存在する。地域的に考えても北九州市のゼロは不思議である。
5市合併で100万都市・北九州が誕生したのは約半世紀前の1963年のことで、市自体の歴史が浅いのは間違いない。しかし、市域全体が古くから開けていなかったわけではなく、現実に市内にある県指定史跡の中には弥生時代の集落跡・重留遺跡があり、市指定史跡には複数の古墳が存在する。
また、私が知るだけでも小倉南区には国内有数の山城跡と言われ、山の斜面に多数の畝状竪堀があったことで知られる長野城跡があり、何より小倉北区には江戸時代、細川、小笠原氏の居城だった小倉城もある。小倉城周辺の地下には、戦時中の兵器工場・小倉造兵廠の地下施設が眠っているとも聞く。だが、これらはすべて国史跡どころか、県・市の指定史跡でさえないのである。
詳しい事情を知らないので無責任なことは言えないが、遺構の保存状態が悪いなどの理由で史跡としての価値が低いのだろうか。確かに小倉城については復興天守があまりに観光化され、史跡というよりもテーマパークに近い気がする。シンボル的な建物がない福岡城跡に比べ、復興天守がそびえる小倉城はいかにも城跡らしい雰囲気があるが、史跡としての価値は無関係ということだろう。
別に国史跡がないからと言って北九州市の歴史や文化が否定されるわけではなく、特筆することではないかもしれないが、少し意外に思ったので取り上げてみた。
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