2014/06/18
朝倉の水車群
福岡県朝倉市にある国内最古の水車群が17日、今シーズンの稼働を始めた。例によって新聞やテレビが取り上げていたのは「菱野の三連水車」だったが、近くにはこのほか2基の二連水車がある。「三島の二連水車」と「久重の二連水車」で、計3基の水車と、筑後川から水を送る堀川用水路が1990年、ワンセットで国史跡に指定されている。これらの歴史については現地にわかりやすい説明板があるので、以下にそっくりそのまま引用させていただく。
当時、絶え間なく押し寄せる筑後川の洪水や、かんばつ、ききん等天災異変の中に幾多の犠牲と死闘を繰り返しつづけてきた祖先が新田開発のため、寛文3年(1663年)筑後川から水を取り入れることにより堀川を造った。更に60年後の享保7年(1722年)岩盤を切り貫き現在の取入口を新設したのである。しかし、山側の土地は位置が高いため、堀川の恩恵を受けることができなかった。そのためにこの地では自動回転式の水車が設置されたのである。三連水車は寛政元年(1789年)に設置されており、三島・久重の二連水車も同じく宝暦のころに設置されたものと思われる。
毎年6月中旬から10月中旬まで作動し、かんがい面積は、3基で35ヘクタールにもおよぶ。
毎年6月中旬から10月中旬まで作動し、かんがい面積は、3基で35ヘクタールにもおよぶ。
享保や寛政と言えば、あの徳川吉宗や松平定信が改革を断行していた時代だ。時代劇好きなため妙に親近感を覚えて時代感覚が狂ってしまうが、水車群の完成が約220年前、堀川用水路の開削に至っては約350年も前になる。もちろん木造の水車部分は何度も作り直されたのだろうが、200~300年前のかんがい施設が今なお現役で農地を潤していることに感心する。
文明開化前の江戸時代と言いながら、日本が独自に培ってきた技術力は確かなものだったのだろう。九州大経済学部の元教授で、郷土史にも詳しかった秀村選三氏は「昔の土木工事は凄いんですよ。水害のとき調べてみると、近代科学の粋を集めて造った最近の堤防がくずれて、江戸時代に造られたものは、ビクともしないというのがよくあって、 自然の理をよく見きわめて造っていると思いますね」と語っておられる。(『博多に強くなろう』福岡シティ銀行、葦書房、1989)
この3基の水車群でどの程度の水を汲み上げているのか。ある新聞には「1日2万㌧」と書かれていた。あまりに多すぎる気がして正直マユツバだと思ったが、現地説明板によると、菱野の三連水車だけで1日7,892㌧の揚水能力があるという。だとしたら3基合計で2万㌧は妥当な数字だ。初代ゴジラの体重並みの水を毎日毎日汲み上げているわけである。江戸時代の技術力恐るべし。
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