2015/03/09
川南造船所跡は公園になるはずでは
佐賀県伊万里市にあった軍需工場・川南造船所跡の前を3月8日に通った。廃虚となった建物が長年放置され、「貴重な戦争遺産」として保存を願う声もあったが、景観や治安面から撤去を求める地元の声に応え、2012年3月に解体を終えた。跡地は公園として整備されると聞いていたので、どんな公園に生まれ変わったのだろうと思っていたが、まだ写真のような状態だった(2枚目の写真は解体前の2011年11月、同じアングルで撮影)。解体完了から、今月でまる3年。まさか公園整備がほとんど手つかずの状態だとは予想外だった。
何か障害でもあったのだろうかと思い、伊万里市の公式サイトなどで調べてみたが、正確なところはわからなかった。ただ、造船所跡地に隣接する処分場で、佐賀県によって浚渫土砂埋め立てが行われており、これが深く関係しているようだ。埋め立てにより最終的に83㌶の土地が誕生することになっており、佐賀県、伊万里市ともにこの土地を工業用地として造成し、企業誘致を進める考えらしい。(一番下の地図参照。グーグルアースでは造船所跡地で作業する重機が確認できる)
造船所跡地のちょうど前面に当たる第1工区30㌶は9割埋め立てが終わっており、伊万里市側は造船所跡地3.3㌶と一体活用する方針だという。これが公園整備の取り掛かりが遅れている理由ではないかと思える。冒頭に書いたように造船所解体は地元の要望に応えてのものだが、企業誘致のための環境整備という意味合いもあったことがうかがえる。
一方で、主に市外から沸き起こっていた造船所跡地の保存を求める声に対して、塚部芳和市長がどのような考えを持っていたか。市のサイトに掲載されているコラム「市長雑感」で知ることが出来る。以下に一部を引用するのは造船所跡の解体が始まる直前の2011年12月15日更新分だ。
この川南造船所は、長年、地元山代町の浦ノ崎地区住民の皆様が地域の衰退を象徴するような建物の残骸だから早く解体撤去をして欲しいと願われていたものです。歴代の市長も、何とかその思いに応えようと努力をされてきたと思います。補償、解体費を県が全額補助をするという古川知事の英断で一気にその方向に向かう矢先に、市内外から戦争遺産、平和遺産で残して欲しいという声が出てきました。
私は正直、このような声に対して、不思議な思いがしました。戦後60年余り、敷地には雑草が生い茂り、建物はコンクリートむき出しで、国道沿いの目のつく場所に存在していたはずなのに、保存をせよという声を聴いたことは、今まで全くありませんでした。ようやく地元の皆様の要望どおりに解体に向け事が進もうとしていた矢先に、なぜ保存の声が出てきたのか。なぜそれ以前に平和遺産や戦争遺産としての保存運動が起こらなかったのかと。
なんとか地元の期待や要望に応えようと、問題解決に向け、血のにじむような努力を長年してきたのは、一体何だったのかと自問自答さえしました。
私は正直、このような声に対して、不思議な思いがしました。戦後60年余り、敷地には雑草が生い茂り、建物はコンクリートむき出しで、国道沿いの目のつく場所に存在していたはずなのに、保存をせよという声を聴いたことは、今まで全くありませんでした。ようやく地元の皆様の要望どおりに解体に向け事が進もうとしていた矢先に、なぜ保存の声が出てきたのか。なぜそれ以前に平和遺産や戦争遺産としての保存運動が起こらなかったのかと。
なんとか地元の期待や要望に応えようと、問題解決に向け、血のにじむような努力を長年してきたのは、一体何だったのかと自問自答さえしました。
解体が地元の悲願だったことが良くわかる。悲願実現のため市長が奮闘したことも。しかし、例え声が上がっていなくとも、行政側には自ら率先して平和遺産、戦争遺産を保護する努めはないのだろうか、と思わないでもない。
この地域には川南造船所のほかに、1963年に閉山した向山炭鉱の廃虚が海岸や海中に今も残され(下の写真)、伊万里市街から長崎県松浦市方面に向かって唐津街道を走ると、目にすることができる。造船所と同様、向山炭鉱も川南工業の所有だったという。この廃虚があるのは処分場の2期工区だ。近い将来にはこの廃虚も消え去る運命だろう。
川南造船所跡に関しては過去に以下の記事を書いている。
▽三無事件と川南豊作
▽荘厳だった川南造船所の内部
▽川南造船所、全面撤去へ
▽緑の廃墟・川南造船所跡2
▽川南造船所跡
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