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西南学院大博物館、県指定文化財に

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 福岡市早良区西新の西南学院大博物館(ドージャー記念館)が今月5日、県の文化財に指定された。県に先立ち2004年には福岡市の指定文化財となっている。政令市と県は一般的に同格と言われるが、このケースでは文化財として格上げされたということなのだろう。

 福岡県指定文化財となっている建造物はほかに、福岡高校の校舎・正門、福岡藩主黒田家の菩提寺である崇福寺の本殿・山門・唐門、福岡城跡の伝潮見櫓・祈念櫓・下之橋御門・母里太兵衛邸長屋門などがある。市指定は飯盛神社本殿、住吉神社能楽殿、旧制福岡高の外国人教師宿舎、 福岡城名島門など。すべて貴重な建造物ではあるが、県の方が重厚なラインアップだという気はする。

 西南学院大博物館に関しては2010年5月、
「蔦の絡まるチャペル」で取り上げているが、改めて建物の沿革を記しておくと、1921年(大正10年)の完成で、設計は日本に数多くの西洋建築を残したウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)。レンガ造りの3階建てで、完成当時は旧制中学の本館、戦後は長く中学・高校のチャペルとして活用されていた。2004~05年には大掛かりな補強工事が行われており、外観は以前に比べ、ずいぶん明るい雰囲気になった。新聞報道によると、県教委は今回の指定の理由としてヴォーリズの設計であり、保存状態が良いことを挙げている。私立学校施設の文化財指定は県内初だという。

 それにしてもヴォーリズ建築はなぜ、これほどまでに評価されるのか。滋賀県豊郷町で、ヴォーリズ設計の町立豊郷小学校の解体か保存かを巡り、町長リコールにまで発展したことはまだ記憶に新しい。建築学的な評価は手に余る話なので取り上げないが、長く大事にされてきた理由については参考になる記述が『ヴォーリズ評伝―日本で隣人愛を実践したアメリカ人』(奥村直彦、2005)にあった。

 「私達の主張するところは、建築様式の人を驚かせるような発案ではありません。私たちが一貫して守り続けて来たことは、簡単な住宅から複雑で多様な目的を持った建築に至るまで、最小限度の経費で最高の満足を請け合うために確かな努力をして来たことです」というヴォーリズの言葉を紹介したうえで、著者は「ここには彼の質実性、合理性、奉仕などのピューリタン精神がよく表れていて、現代にも見られる、一見人を驚かすような奇抜さと誇張に満ちた建築が、いかに価値の低いものかを分からせてくれる」と述べている。

 つまりヴォーリズが目指したのはコストパフォーマンスに優れ、何より使い勝手の良い実用的な建物だったということだろう。説得力のある指摘だ。著者の奥村尚彦氏はヴォーリズの創設した学校法人・近江兄弟社の理事長などを歴任、ヴォーリズ研究家としても名高い人物だという。

 西南学院大博物館が福岡市文化財となった際の市教委発表によると、大正時代に建てられたレンガ造りの建物は、同博物館を含めて市内に3棟しか残っていないらしい。他の2棟とは、どうも九州大学の箱崎地区に残る本部第1庁舎と第3庁舎のようだ。西南学院大唯一の歴史的建造物と言える博物館はきちんと保存が図られているが、九大箱崎キャンパス校舎群の先行きはどうなるのだろうか。
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