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海の中道海浜公園

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 大型連休中に海の中道海浜公園(福岡市東区西戸崎)に行き、園内をぐるっと歩いてきた。遠出するだけの金がないので、この連休は体力作りに当てることにし、主に近場の山を巡っていたのだが、山歩きにも少し飽きてきた。そこで目先を変えて海辺の公園を散策することにした。総面積540㌶に及ぶ広大な米軍基地「キャンプ・ハカタ」跡地に現在もなお整備中の国営公園で、開園済みの区域だけでも約292㌶。中高年が歩き回るには十分すぎる広さだ。

 キャンプ・ハカタの大半が返還されたのは1972年。基地の区域等がわかる地図(下)が板付基地返還促進協議会の第48回総会(2014年8月開催)資料にあったので、お借りした。網掛け部分が1972年6月に最初に返還されたブレディ飛行場。雁ノ巣飛行場を接収して整備した空軍基地だ。朝鮮戦争(1950~53年)時に活躍したが、返還当時には使用されておらず、滑走路も撤去されていたという。

 この跡地は、福岡市が国から土地を借りて雁の巣レクリエーションセンター(以下、レクセンター)として整備している。66㌶の敷地の中には野球場をはじめとする様々なスポーツ施設があり、2016年には移転予定ながら現在はホークスのファーム本拠地も置かれている。実はレクセンターも海浜公園に含まれている。だが、不思議なことに公園を整備している国交省の資料ではレクセンター部分は“未開園区域”になっている。国交省自らが整備を行ったわけではないため、未整備扱いなのだろうか。行政の考えはよく理解できない。レクセンターを含めれば、開園区域は350㌶を超えることになる。

 続いて1972年11月に返還されたのが現在の海浜公園本体部分。76年から公園整備が進められており、81年に大芝生広場、動物の森などの59㌶が先行開園。その後、サンシャインプール、水族館のマリンワールドなどが相次ぎオープンし、公園には毎年180~200万人が訪れているという。

 1977年3月に返還されたのは塩屋岬と呼ばれる場所で、ここだけ返還が遅れたのは、米軍が板付通信施設の代替施設予定地として留保していたためだという。玄界灘に面した岬には現在、シーサイドヒルシオヤという展望所兼休憩所がある。上の海岸の写真はここから撮影した。非常に風光明媚な海岸だが、波が荒いためか残念ながら立ち入り禁止だ。

 公園では現在、200万本のネモフィラが最後の見頃。高さ60㍍の大観覧車に乗って眺めるのが最も美しいらしいが、観覧車は老朽化と利用客の減少により、今年8月いっぱいで営業を終了することが発表された。西区のマリノアにあった日本一の大観覧車に続き、博多湾のランドマークだった観覧車がまた消え去っていく。


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