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謎の生き物シイ、正体はハクビシン?

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 シイという謎の獣が江戸時代、福岡藩領に生息していたらしい。貝原益軒(写真は菩提寺・福岡市中央区の金龍寺にある益軒像)の『筑前國続風土記』土産考には次のように書かれている。

 「狸に似て、夜中に人家に入て牛馬をなやます。牛馬是にあへば病で死す。良狗も取事あたはず。なり物を恐る。人を多かり集、山に入て鐘太鼓を鳴らし、かり出し打殺す。唐の書にも出たり。志摩郡野北、桜井、鞍手郡境村に在て、牛馬を害せしを、先年かりて打殺す」(※志摩郡野北、桜井は現在の糸島市、鞍手郡境村は直方市)

 続風土記の志摩郡野北村の項目には、シイを狩り出して駆除した一件がもっと詳しく書かれている。シイ騒動が起きたのは寛文二年(1662年)のことで、牛24頭が相次いで熱病で死んだ。その際、防州山口伊勢太神宮の神職から使いが来て「是は狸に似たるシイと云獣来りて、牛をなやます故、病つきて死する也」と伝え、太鼓や鐘、笛などを鳴らしてシイを狩り出せば、災いは止むと助言したという。

 これに従い村人は山狩りを行い、7匹のシイを追い詰め殺した。これ以降、牛が死ぬことはなくなったという。シイの姿形は「狸に似て小し。面は長くして、馬の面に似たり。目角尾も狸のごとし」で、これを藩主(1662年当時は3代藩主・光之)に見せたとも益軒は書き残している。

 シイとは妖怪の一種で、中国の書物に記録があるらしいが、続風土記を読む限り、牛の大量死の原因だったかどうかは別にして、タヌキに似た未知の生き物が駆除されたのは事実だったようにも思える。

 続風土記が一応の完成を見たのは1703年(元禄16年)。野北村のシイ騒動はこの約40年前ということになるが、1630年生まれの益軒はこの騒動の時、すでに30歳を超えていた。ちょうど藩医として京都留学中だった時で、彼自身がリアルタイムで見聞きしたわけではないだろうが、彼が生きていた時代の話だ。シイの死骸を実見したとされる3代藩主・光之に至っては益軒が直接仕えた人物。まったくの作り話を記録したとは思えない。

 仮に未知の生き物を駆除したのが事実だったとして、この生き物とは何だったのだろうか? タヌキに似た動物で、日本に生息するものと言えば、アナグマ、アライグマ、ハクビシンといったところが思い浮かぶ。アナグマは古来から日本に生息し、続風土記にも「狢(ムジナ)」の名前で出てくる。候補から除外して良いだろう。アライグマは北米原産。江戸時代初期に日本に到来していた可能性は低い気がする。

 残るハクビシンも明治時代以降に日本に住み着いたと言われているが、こちらはアジア原産。大陸との交流の窓口だった福岡・博多ならば、鎖国以前に持ち込まれ、その子孫が生息していたというケースはあり得るかもしれないと思う。木登りがうまいうえ、運動能力も高いらしく、「良狗も取事あたはず」だった可能性もある。ただ、この程度ではあまりにも根拠薄弱なので、「野北のシイ=ハクビシン」説を唱える勇気はないが、有力候補としてエントリーはしておきたい。
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