2015/07/01
碇石とはどんな物か?
沖縄県名護市辺野古の海岸で見つかった石が琉球船の「碇石」であったことがわかり、文化財指定されたという記事が1日の各紙朝刊に掲載されていた。碇石とは木製碇の重り。今回指定されたものは長さ57㌢の角柱状で、重さ15㌔。琉球王朝時代の交易を物語る考古資料であり、この発見により普天間飛行場の辺野古移設計画に影響が出る可能性もあると記事は伝えていた。
碇石は、福岡市民にとっては寺社などで良く目にする代物だ。福岡では「蒙古碇石」と呼ばれており、名前でわかるように元寇船、または日宋貿易船の遺物ではないかとみられている。福岡市の文化財サイトによると、市内にある碇石は長さ2~3㍍、重さ190~584㌔。辺野古のものに比べれば、かなり大型だ。これらが寺社に置かれているのは、恐らく博多湾内などで見つかったものが奉納されたのだろう。供養塔などに転用されているケースもあるという。
蒙古碇石については小学生時代から社会科で習い、実物も目にしてきたが、あの石に縄を付け、そのまま海にドブンと投げ入れるものだと長く誤解していた。だが、冒頭書いたようにあくまでも木製碇の重りであり、碇自体は現在と同様の形をしている。辺野古碇石の記事では、現物の写真は掲載されていたが、どのように使われたかの図解はどの新聞にもなかったので、上に復元された碇の写真を載せた。福岡市博物館の常設展示室に展示されているものだ。
辺野古の碇石については「琉球王朝大交易時代の生き証人」などと評価する声が出ている。しかし、福岡市で見つかっている蒙古碇石に比べれば、あまりに小さすぎ、例えば琉球王朝から中国に貢ぎ物を運んだ「進貢船」などの碇石と考えるには少し無理がある気がする。
2枚目の写真は、筥崎宮(福岡市東区箱崎1)境内に展示されている碇石。福岡市ではこのほか、承天寺(博多区博多駅前1)、大乗寺跡(同区上川端町)、櫛田神社(同区上川端町)などで目にできる。福岡市と周辺に現存する碇石は20個を超えるという。
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