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福岡刑務所の移転

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 熊本地震後、ツイッターで一時「熊本刑務所」が話題を呼んでいた。同刑務所が避難者を受け入れ、ニュースになっていたためだが、タイミングがタイミングだけに、“刑務所”の文字を見て、地震で建物が壊れ脱獄騒ぎがあったのではないかと勘違いした人もいたようだ。この刑務所の正門前を初めて通った時、無期懲役囚をはじめ刑期の長い受刑者を収容している割には市街地のど真ん中にあることに少し驚いた。他市のことなので詳しい事情は知らないが、過去に移転運動などは起きなかったのだろうか。

 福岡県に目を転じると、福岡刑務所は現在、福岡市近郊の宇美町にあるが、1965年(昭和40年)4月までは現在の福岡市早良区藤崎にあった。その名残で今も福岡拘置所があるが、それ以外の跡地は早良区役所や早良市民センター、ももちパレス、九州郵政研修センターなどとなっている。1961年5月に撮影された旧・福岡刑務所周辺の航空写真と現在の地図を並べたが、刑務所敷地の広大さとともに、当時すでに周囲には住宅が密集していたことがわかる。この機会に、福岡刑務所の移転について調べたところ、意外なことがわかった。宇美町移転の主体は国ではなく、福岡市だったのだ。

 このあたりの経緯を記録している『福岡市史 第五巻 昭和編後編(一)』(1970)によると、市、市議会による刑務所移転運動が本格的に動き出したのは1959年11月。刑務所が建設された1913年(大正2年)当時は農村地帯だった西新・藤崎地区だが、市の人口が60万人を超えた59年頃には市西部の中心となっており、「広大な敷地と建物を持つ矯正施設が存在することは、この地区の発展はもとより、伸びゆく西部方面への“大きな壁”となっていた。このことから、刑務所を移転させ、その跡地を高度に利用することに市当局と市議会では態度を決定した」(『福岡市史』)という。

 ちょうど施設の老朽化が進んでいたこともあり、国側も移転にはあっさり同意するが、ここで持ち出してきた条件が一種の等価交換。国側は現刑務所の土地・建物の価値を5億5,000万円と見積もった上で、福岡市にこの金額内で新刑務所を建設させるという方式で、宇美町に新刑務所の用地を選定し、施設を建てたのは福岡市だったのだ。

 「移転して欲しかったら、新刑務所を用意しろ」という国のやり口はかなり横暴に思えるが、この方式を提案したのは実は福岡市の方で、同時期に行われた名古屋刑務所移転でもこれに倣ったと市史では自画自賛している。移転を迅速に進めるための苦肉の策だったのだろう。一見、福岡市が宇美町に迷惑施設を押しつけたようだが、新刑務所の用地選定に当たっては希望を募り、宗像町、前原町、福岡市野方地区の中からいったんは宗像町に決まりかけていた。だが、土壇場になって同町が誘致を撤回、代わって名乗りを上げたのが宇美町だったという。
 
 旧刑務所の建物は1965年11月までには取り壊され、跡地は上述のようにミニ官庁街兼住宅地となった。新刑務所建設に掛かった5億5,000万円以上で跡地が売れたのかどうかは調べがつかなかったが、都市の発展という点から考えれば、収支が大幅なプラスだったことは間違いないだろう。ただ、新刑務所の設計等も終わっていない段階で、形式上は国が5億5,000万円で購入するという契約を結んだことに対し、会計検査院から「妥当でない」という指摘があり、1962年の衆議院決算委員会でも取り上げられている。

 なお、新刑務所用地の造成を請け負ったのは陸上自衛隊小郡駐屯地の施設部隊だった。建設費5億5,000万円という枠があるため、出来る限り安価に抑えようと福岡市が頼み込んだらしい。自衛隊が平時でも災害時でも有能な集団であることを知らしめる話だが、今時自衛隊を土建業者代わりに使ったら、相当批判を浴びることだろう。


 ※航空写真は国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」から。刑務所を中心にトリミングさせていただいた。
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コメント : 2

コメント

No title

今昔マップさん
http://ktgis.net/kjmapw/index.html
で、古い福岡市を見るのが好きな者です。

今昔マップさんの一番古い地図で西新あたりをみていると不思議な建物があったので、年代を新しく観てみると福岡刑務所とあったので、検索してお邪魔しております。
すごくためになりました。ありがとうございました!

Re: No title

コメントありがとうございました。
また、過分なお褒めをいただき、励みになりました。