旧聞since2009

廃棄された完全形の鏡

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 福岡市博多区井相田の仲島遺跡から、銅鏡が完全な形で出土し、現在、同市早良区の市博物館で展示されている。中国・後漢で1世紀末から2世紀前半頃に作られたとみられる内行花文鏡(ないこうかもんきょう)で、直径はやや小ぶりの11㌢。子孫繁栄を意味する「長宜子孫」の文字が刻まれている。福岡市内で割れていない鏡が出土するのは極めて珍しいらしいが、有力者の墓に副葬されていたわけではなく、不思議なことに弥生時代後期後半(2~3世紀)の土器片と一緒に廃棄されたも同然の状態で埋まっていたという。

 博物館で、ガラスケースの中に展示された現物を見てきた(写真上)。単に割れていないというだけではなかった。錆一つないうえ、鏡面はツルツルに近く、同博物館に展示されている他の数々の銅鏡(写真下)と比べれば、状態の良さは歴然だった。仲島遺跡は、博多区井相田と大野城市の旧・仲島地区(現在の地名は仲畑)にまたがる弥生時代から奈良時代にかけての集落遺跡だが、館内の説明パネルによると、鏡が見つかったのは集落の外れの窪地、または川に面した場所。鏡のすぐ上の地中には焼けて炭化した板の痕跡があり、更にその上に土器片が埋まっていたという。「何らかの祭祀行為の累積」というのが発掘担当者の見立てだ。

 しかし、いくら祭祀だとは言え、破片でさえ所有者の権威の象徴だったとされる貴重な鏡を、完全無欠の状態のまま惜しげもなく埋めてしまうものだろうか。青銅器等の埋納について、専門家の見解は往々にして「祭祀」や「呪い」だが、素人考えながら、今回の事例ではもっと俗っぽい事情を想像した。鏡は盗まれ、地中深くに隠されたのではないか、と。欲に駆られての犯行というより、狙いは所有者、恐らくは集落の有力者の権威を貶めるため。もちろん、何一つ根拠はないが、クニ同士の戦乱が続いたとされる北部九州の弥生時代、内部の権力闘争も激しかったのではないかと思ったのだ。

 仲島遺跡の大野城市側からは1981年、中国・新時代(1世紀)の貨幣「貨布」が出土している。同時に出土した土器(須恵器)片から、古墳時代の6世紀後半に埋まったものと推定されるが、大野城市教委は製造から間もない弥生時代にこの地にもたらされたとみている。同遺跡の弥生時代の遺構からはこのほか、中国鏡の破片なども出土しており、同市教委によると「弥生時代の仲島遺跡の集団は青銅器を保有することのできた有力集団」「奴国連合を支えた有力地域」と考えられるという。

 なお、仲島遺跡に隣接して博多区側には井相田C遺跡という集落遺跡があるが、お役所の都合で名前は別々だが、実際は一つながりの遺跡だという。同一の遺跡ならば、一つの名前でくくった方が全体像が理解しやすいのではないだろうか。
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