旧聞since2009

「親不孝通り」表示板も変更

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 福岡市・天神の親不孝通りで、街路灯の表示板を「親不孝通り」に付け替える作業が進んでいる。この通りは2000年以来、「親富孝通り」を名乗っていたが、今年2月、地元商店主らによる話し合いで、以前の愛称「親不孝通り」が復活した。年の瀬になって表示板の変更作業がようやく始まり、通りには現在、新しい親不孝通りの表示板のほか、付け替え前の親富孝通り、さらには旧名を塗りつぶした状態のものまで混在している。

 この通りの由来等については、ちょうど2年前
「親不孝通り復活?」で取り上げたことがあるが、もう一度簡単におさらいしておきたい。正式名称は天神万町通りで、昭和通りと那の津通りを結んでいる。那の津通り沿いに1970年代、九州英数学舘、水城学園の地元予備校2校が相次いで開校したことが、親不孝通り誕生の要因だ。

 この2校の生徒たち、つまり現役で大学に合格できなかった親不孝者たちが通学のため、ここをゾロゾロと通っていたことで70年代後半(一説によると、78年頃)、親不孝通りの愛称が生まれたと私は記憶している。恐らく、当時を記憶する福岡市民の多くが同様の意見ではないかと思う。

 ところが、通りの名称問題を報じた地元紙・西日本新聞が異論を唱えだした。2015年10月30日朝刊で「1970年代、近くの予備校に通う浪人生たちが勉強をよそに居酒屋に出入りする姿から『親不孝通り』と呼ばれた」と報じたのだ。「親不孝通り復活?」を書いたのは、通りに飲食店などが進出しだしたのは愛称誕生後だった記憶があり、記事に違和感を覚えたのがきっかけだった。

 この時に調べた結果、愛称誕生以前、夜の通りは「完全に真っ暗」だったが、ポツポツと飲み屋は存在したとわかった。中にはこれらの店に出入する予備校生がいたかも知れないが、通りの愛称の由来になる程、そんな不心得者が多数いたとは到底考えられない。いくらおおらかな時代だったとはいえ、浪人生活はそんな甘いものではないだろう。しかし、西日本新聞はどうしても「飲み歩く予備校生」のせいにしたいらしく、表示板の付け替えを報じる今月の記事でも同様のことを書いていた。

 親不孝通りの復活を巡る記事では、ほかにも疑問を感じるものがあった。例えば、NHKをはじめ複数のマスコミが「非行の温床」になっていたから、2000年に親富孝に変えたと報じていたが、そうではない。

 1980~90年代、この通りには多数の飲食店などが立ち並び、九州一円から多くの若者が集まるようになったが、同時に治安も悪化、名前が悪いと考えた地元の中央警察署が1997年、「親不孝通りの名前を使うな」と要求したのだ。署側はすぐに要求を引っ込めたが、市は従い、観光案内書などから親不孝通りの名前は完全に消えた。しかし、不景気もあって通りが次第に寂れていく中、地元は2000年、全盛期の愛称復活に動いた。だが、警察が嫌った名前に戻すことにはためらいがあったのか、妙な当て字を選んだのだ。

 親富孝通りの表記は、あまり評判が良いとは思えなかった。これが名実ともに消え去ることになり、歓迎している人は恐らく多いことだろう。
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コメント : 2

コメント

おめでとうございます。

今年も記事楽しみにしております。
宜しくお願いします。

Re: おめでとうございます。

おめでとうございます。
ありがとうございます。