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郡役所の礎石が出土していた

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 福岡市中央区の赤坂門バス停横の駐車場跡地で2014年暮れから翌年4月にかけて、発掘調査が行われていた。調査地を囲っていたフェンスに「福岡城下町の発掘調査」を行っているとの貼り紙が出されていたが、いったい何の遺構が出たのかはさっぱりわからなかった。そこで古地図などを調べたところ、藩政時代後期、郡役所が設置された場所らしいと判明し、このブログで取り上げたことがある(「福岡城下町の発掘調査」「やっぱり郡役所跡の発掘?」)。私にしては珍しく正解だったようで、先頃刊行された発掘調査の報告書には「福岡藩郡役所が移設された場所であったことから」記録保存のための調査を行ったと記され、郡役所の礎石等が出土したと明らかにされていた。

 郡役所は、福岡藩が農村統制のために設置した行政機関で、火災で焼失した藩中老・斎藤家の屋敷跡に1818年(文政元年)に建てられた。これ以前まで、福岡藩では5人の郡奉行が農村を直接支配していたが、厳しい年貢収奪により農村は荒廃が進んでいた。立て直しのための農政改革の一環として、新設した郡役所に農政を一元的に担わせたのだ(『福岡県史』)。しかし、この郡役所は狙い通りに機能したのだろうか。藩政時代も後期になって機構改革を行った程度で、疲弊しきった農村を復興できたとは正直なところ、思えないのだが。

 発掘調査報告書によると、礎石は調査地の一角から約2㍍間隔で見つかり、古文書の中にある『福岡藩奉行所配置図」と比較したところ、「建物の位置図のラインにほぼ一致したので、郡役所(奉行所)の建物礎石と判断した」とあった。福岡藩の公的建物は、柱の間が京間の6尺5寸(1.97㍍)を基準にしており、郡役所も京間基準で作られたものと思われるという。

 建物の構造は、中庭を囲んで「遠賀・鞍手」「両糟屋・宗像」「早良・志摩・怡土」「那珂・席田・夜須・御笠」「上座・下座・嘉麻・穂波」の各御役所が配置され、廊下で結ばれていた。現在の役所に例えれば、担当課ごとに部屋が分かれているような形だ。出土した礎石は、「那珂・席田・夜須・御笠」「上座・下座・嘉麻・穂波」御役所辺りの建物、廊下と調査報告書では推定している。古記録と発掘調査結果を照らし合わせれば、こんなことまでわかるのかと感心する。遺物は、陶磁器片など中型コンテナ400箱分以上にも上り、この中には「郡屋敷跡らしく硯片が多く出土」したという。

 郡役所跡の発掘調査はJR九州によるマンション建設に先立って行われたもので、調査地には先頃、高級感あふれるタワーマンションが完成した。写真は、1枚目が2015年1月、2枚目が同3月に撮影した。
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