旧聞since2009

謎だった浮羽稲荷神社の来歴

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 農産物直売所巡りのため結構頻繁に通っている福岡県うきは市に、浮羽稲荷という神社がある。直売所巡りのメインルートとなっている国道210号線から少し南側に入った耳納山地東端の山腹にあり、普段は無人の小さな神社だが、石段沿いに連なる93基もの赤い鳥居が壮観だ。最近は、例によって「SNS映えする」と人気らしく、先日、何年振りかで長い石段を登ったところ、写真撮影に忙しい若者たちを複数見かけた。以前はなかった光景だ。それはともかく、久しぶりに参拝したのを機会に、以前から気になっていた神社の来歴について調べてみたところ、意外なことがわかった。この神社の歴史は予想外に新しく、戦後の1957年(昭和32年)創建だったのだ。

 神社には「開運の神 浮羽稲荷神社の由緒」と書かれた看板が掲げられてはいる(写真)。ところが、由緒といいながら、祭神(稲魂大神、大山咋神、菅原道真)と年間のスケジュールだけを紹介した非常に簡単なもので、由緒という言葉が本来意味するはずの「来歴」や「いわれ」などは一切記されていないのだ。これまで目にしてきた神社の看板は、真偽不明の言い伝えを含めて神社の歴史を長々と紹介しているものが普通だったが。この不親切な看板のお陰で、インターネット上にある探訪記には「由緒ある神社」と紹介しながら、どこにも由緒が書かれていないものさえある。

 浮羽稲荷神社の来歴を調べるに当たり、最初に参照したのは『福岡県神社誌』(1945)。国立国会図書館のデジタルライブラリーに収録されている。旧浮羽郡内にあった120もの神社が紹介されており、これで簡単にわかるだろうと思っていたのだが、120社の中に浮羽稲荷神社の名前はなかった。あるいは以前は単独の神社ではなく、大きな神社の境内社だったのかもしれないと考え、各神社の解説を丹念に読んでみたが、それでも該当するものはなかった。ここでようやく、同様に赤い鳥居が連なる景観で人気の山口県長門市の神社が、比較的近年に個人によって創建されたことを思い出し、「浮羽稲荷神社の歴史も実は新しいのでは」と思い当たった。

 インターネットだけではらちがあかないと思い、勝手に自分の書斎扱いしている福岡市総合図書館の郷土資料室に向かった。平成の大合併でうきは市が誕生する以前、旧・浮羽町時代に編纂された『浮羽町史』(1988)に、欲しかった情報が明快に書かれていた。「昭和三十二年(一九五七)十二月、京都伏見、稲荷大明神を新設の城ヶ鼻公園内に勧請した。発起人は三斤会会員で、御幸地区民及び町内有志が賛助した」と。

 『町史』に書かれていた浮羽稲荷神社創建の経緯をかいつまんで紹介すると、以下の通りだ。

 発起人の三斤会とは、住民有志によって1924年(大正6年)に結成された懇親グループで、毎月1回、会員宅持ち回りで会合を開き、政治や教育、社会など様々な問題について意見を交わしていた。会場の会員宅には会から酒1升と肉3斤が提供される決まりで、これが会名の由来のようだ。1937年(昭和12年)の会合で、「住民憩いの場として公園を設置してはどうか」という提案が出され、建設地は現在稲荷神社がある山腹が最適ということで意見がまとまったが、この時は話は進展せず、やがて太平洋戦争が始まった。

 戦後の混乱が落ち着いた1955年(同30年)になってこの話が再燃、会員の一人が町議となっていたこともあって、町や町議会、公園予定地の地元・御幸地区、町民有志への働き掛けもとんとん拍子で進み、同年中に公園設立会も結成され、無事着工にこぎつけた。一見、神社は無関係のようだが、計画は「憩いの場としての公園と、信仰の場としての神社を結び付けて建設するのが構想であった」のだ。57年に社殿や道路などが完成、この年の12月、当時の町長、町議会議長らが京都に赴いて京都伏見稲荷から分霊を迎え、完成したばかりの浮羽稲荷神社社殿に祀った。

 これが(私にとって)謎だった浮羽稲荷神社の来歴だが、気になったのは、政教分離の問題だ。神社(公園)建設をリードしたのは、あくまでも民間団体の三斤会であり、建設に町の予算が使われたのかどうかも『町史』には明記はされていないが、町長、町議長が分霊を迎えに京都伏見稲荷に出向いたことだけでも、現在では問題になりかねない案件だという気がする。深読みかもしれないが、せっかく住民主導で生まれた神社であるのに、この歴史を大っぴらにPRできないのは、過去の話とはいえ微妙な問題を含んでいるからだろうかと疑った。
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コメント

コメントせずにはいられませんでした!

初めて拝見しております。御朱印集めが趣味の20代会社員です。

私もつい先日、友人とドライブついでに浮羽稲荷神社に行ってまいりました。
一切の前知識なく、観光情報誌でみた「絶景」とやらだけを求めて立ち寄りました。

確かに見晴らしの良い絶景スポットだったのですが、特に奥の院があるでもなく由緒の説明もなかっったので物足りなさを感じていました。
さらに並んでいる鳥居に刻まれている竣工日?は、見た限りは古くても平成13年だったので比較的に新しい神社なのではと考えておりました。
おまけに期待していた御朱印は近所の店でコピーを販売とのことでした。

新しい神社だから、御朱印がコピーだからご利益が無いと言うわけではないのですが、
私はどうしても「鳥居を並べて絶景を作り出し、お金儲けのために観光地化した神社なのでは…?」と疑ってしまい、正直なところ神社としては楽しめませんでした。

ですが、こちらの記事を拝見して考えが変わりました。
確かに駄田泉さんの考察の通りであれば、由緒の説明がどこにもないことにも納得がいきます。
非常に興味深いですね!
この神社の経緯を知ってまた訪れると違った楽しみ方ができそうです。

私はたまたまこちらの記事にたどり着けたから、この神社の経緯を知ることができました。
もしこちらの記事が無ければ、私のこの神社に対するイメージ、ややもすれば、それを観光地としてPRしているうきは市のイメージすら悪いままでした。
私はデジタルネイティブ世代の人間で、ネットで調べれば何でもわかると思っておりましたが、やはりこうしたローカルなことは文献にあたらないとまだまだわからないものですね。
自分で調べることの重要性を改めて痛感しました。ありがとうございます。

今後のブログの更新も、陰ながら応援いたします。
長文にて失礼致しました。